10分読書


乃木希典


乃木希典(のぎまれすけ、乃木源三)は長州藩の支藩である長府藩士・乃木希次(80石)と乃木壽子の3男として、1849年11月11日に江戸の長府藩上屋敷にて生まれた。

なお、長兄・次兄は夭折していたため世嗣であった。
幼い頃、蚊帳の釣り手の輪が左目に当たったようで失明。

1858年11月に父・乃木希次が藩主の跡目相続問題に巻き込まれて、閉門・減俸となると、乃木希典ら家族は江戸を出て長府に戻った。

1859年、11歳になると結城香崖から漢学・詩文を学び、流鏑馬、弓術、西洋流砲術、槍術、剣術なども学び始めたと言う。

そして、長府の鍛錬道場「集童場」に入って心身共に鍛え、1862年12月に元服した。
しかし、父と対立し、1864年3月、16歳のときに出奔。

親戚であった萩の玉木文之進を頼って弟子入りしようとしたが、出奔してきたことを咎められ、農民になれと諭されたと言う。 

なんとか玉木文之進の屋敷に住むことは許されると、農作業を手伝う傍ら、松下村塾にて学問も受けたとされる。

なお、吉田松陰より19歳年下となるため、萩に出た際には、既に吉田松陰は処刑されたあとの事であった。

1864年9月からは、長州藩の藩校・明倫館にて学び、一刀流剣術にも汗を流し文武両道を目指した。

1864年、乃木希典は集童場時代の友人らと盟約状を交わして、長府藩「報国隊」を創設。
1865年、第二次長州征討では山砲を率いて参戦し、山縣有朋のもと小倉城一番乗りを果たしている。

その後、藩命を受けて、伏見御親兵兵営にてフランス式訓練法を学ぶと、以降は軍人の道を進み、明治4年には黒田清隆らの推挙もあり、若干22歳にして陸軍少佐となる。

西南戦争では歩兵第14連隊長心得を務めて、田原坂の激戦で連隊旗を、西郷隆盛らの薩軍に奪われてしまう失態を犯してしまった。
乃木希典は苦しみ、自殺を図ろうとしたところを、児玉源太郎に見つかり、軍刀を奪い取って諫めたという話もある。

その後、重傷で野戦病院に入院していたにも関わらず、脱走して戦場へ向かおうとしたため「脱走将校」の異名を取っている。
この時のケガがもとで、左足が少し不自由になったが、西南戦争に勝利すると中佐に昇進した。

苦しむ乃木希典を見た母・乃木寿子は、妻を迎える事を勧めて明治11年8月27日、薩摩藩士・湯地定之の4娘・お七(静子)と結婚させたが、酒でまぎらす日々は続き、祝言にも遅れたほどであったと言う。

明治13年に大佐、明治18年には少将に昇進し、歩兵第11旅団長に就任。
この間、長男・乃木勝典、と次男・乃木保典がそれぞれ誕生している。

明治20年1月からは、川上操六とともにドイツ帝国へ留学し、戦術だけでなくドイツ陸軍のすべてを学んだことが契機となり、明治21年の帰国後、軍紀確立など軍人教育を説いた意見書を大山巌に提出し、軍服着用の重要性を率先して示すため、自らは常に軍服で身を律した。

以後は、料亭や芸者が出る宴会には一切出席せず、生活も質素にし、模範を示したと言う。 

その後、近衛歩兵第2旅団長を経て、歩兵第5旅団長(名古屋)となるも、上司の第3師団長・桂太郎とそりが合わず、明治25年に病気を理由に2度目の休職をし、那須野にて農業を従事した。

明治25年、歩兵第1旅団長として復帰すると、明治27年8月1日、日本は清に宣戦布告して日清戦争となり、大山巌が率いる第2軍として、歩兵第1旅団は僅か1日で旅順要塞を陥落させた。

また、第1軍・桂太郎らの第3師団の窮地を救うなどの功績も挙げ、中将に昇進すると第2師団(仙台)の師団長となり、また男爵にも列した。

明治29年には台湾総督に就任するも明治30年に辞職し、あとを児玉源太郎に託した。
明治31年には第11師団長(香川)となるも、明治34年からは再び休職し、那須野で農耕したが、もっぱら兵書を読み、軍事演習があると聞くと可能な限り見学し、研究を怠らなかったと言う。

明治37年、日露戦争では第3軍司令官となり大将に昇進し、再び旅順要塞の攻略に当たった。
しかし、ロシアの防備はかなり増強されており、3回に渡る総攻撃を持っても落ちず、長男・乃木勝典も戦死するなど多数の兵力を消耗し弾薬も不足。

批判は国民の間でも発生し、東京の乃木邸には石も投げこまれる状況となる中、次男・乃木保典も戦死するも、203高地を占拠すると、旅順艦隊に艦砲射撃を加え、なんとか旅順を攻略することに成功した。

ロシアが機関銃を効果的に活用した防御陣地を突破するため、この日露戦争を観戦した欧米各国は「戦車」を発明して行く事になる。

日本では大国ロシアに勝利したと大変な騒ぎとなり、長男と次男を相次いで亡くした乃木閣下には日本国民も同情したことから、凱旋した乃木大将は大歓迎を受けたが、多数の将兵を戦死させた自責から歓迎会などはすべて断ったと言う。

また、降伏したロシア将兵に対する寛大な処置などは世界で賞賛され、ドイツ帝国、フランス、チリ、ルーマニア、イギリスなどからは乃木希典に勲章が授与されている。

乃木希典による明治天皇への報告では、涙声となり、自刃して明治天皇の将兵に多数の死傷者を生じた罪を償いたいと奏上するも、天皇は「今は死ぬときではない。どうしても死ぬと言うのであれば、朕が世を去った後にせよ」と述べたとされている。

明治40年(1907年)1月31日、軍事参議官の乃木希典は学習院院長を兼任することになる。
これは、明治天皇の孫(昭和天皇ら)が学習院に入学することから、その養育を乃木に託すべく、天皇自ら人事を行ったとされる。

これに対して乃木は、自宅に月1~2回帰宅する以外は、学習院の寄宿舎に入って生徒と寝食を共にした。

明治45年(1912年)7月29日、持病の糖尿病が悪化した明治天皇が崩御。

大正元年(1912年)9月13日、明治天皇大葬が行われた日の午後20時頃、静子夫人と共に東京赤坂の自宅にて、明治天皇を追って殉死するため自刃した。享年62。

静子夫人も、乃木希典が割腹するのと同時に、懐剣にて心臓を突き刺して自刃した。享年54。

墓所は港区青山霊園。

栗林忠道


栗林忠道(くりばやし ただみち)陸軍中将は、大東亜戦争末期の硫黄島での戦闘を指揮しました。

栗林が大尉時代、軍事研究などを目的に昭和3年~5年までアメリカへ留学し、アメリカの軍事力だけではなく生産力、国民性など多方面に渡り熟知していた事は有名な話です。

では、栗林忠道とはいったいどのような人物だったのでしょうか。
栗林は少将時代、南支派遣軍(第二十三軍)の参謀長として広東(現・広州)にいました。

階級社会の最たる軍隊にあって、目下の者に気さくに接する栗林は異色の将官だったといえます。

入院した兵がいれば自ら車を運転し、果物などを持ち軍病院へ見舞いに行ったり、マラリアにかかった兵がいれば自ら氷を届けたりもしました。

ある時、軍用犬のシェパードと共に記念写真を撮影する事になりました。 
栗林は「せっかくだから、貞岡も呼んでやろう」と言い、全速力で走っても往復15分以上かかる宿舎へ使いを出し、裁縫係の軍属(軍属とは、軍に勤務していますが、戦う事が任務ではない人)の貞岡信喜(さだおか のぶき)を呼びに行かせます。

通常なら身分の異なる五十歳の陸軍少将が、二十歳そこそこの裁縫係の軍属を15分も待つなど、絶対にありえない時代でした。
それを栗林は、写真を撮ってもらうという当時めったになかった機会を、田舎から出てきて一生懸命働く若者に与えたのです。

ちなみに栗林が中将に昇進して東京の留守近衛第二師団に転任する事が決まったとき、貞岡は自分も転属願いを出してついていっています。

一年後、栗林は総指揮官として硫黄島へ出向く際には、貞岡の同行を許しませんでした。
しかし、貞岡は栗林に黙って彼を追い掛け、硫黄島北約270キロにある父島行きの船に乗りました。

父島に着いた貞岡がやっと通じた無線電話で栗林と話した時、「そんなところで何をやっておるか! 絶対にこちらへ来てはならん!」
と怒鳴られています。

激戦が予測され、自ら死を覚悟していた栗林は、軍属である(というより、未来ある若者である)貞岡を死なせたくなかったのです。

戦後貞岡は、「うちの閣下に怒鳴られたのは、後にも先にもあの一度きりで、あの時が閣下の声を聞いた最後でした。」 と、涙ぐみながら語っています。

栗林は小笠原兵団の兵団長(最高指揮官)で、任命当初は父島へ指令部をつくり、そこから小笠原諸島(主に硫黄島)の防衛を指揮するはずでしたが、彼は自ら、激戦地となりうる可能性があるにもかかわらず硫黄島へ出向き、そこで直接指揮する事にしました。

では何故、水も食糧も豊富にあり安全な父島へ行かず、水や食糧も乏しく危険な硫黄島へ出向いて行ったのでしょうか。

それは、彼自身が「指揮官は第一線で指揮をとるもの」と言い、自ら一兵卒と同じ苦労をし現場の辛さや苦しみを経験しようとした為でした。

彼は将兵も一兵卒と同じ食事をし、一人一日与えられる水の量も一兵卒と同じとしました。
この事に対し食事を運ぶ当番兵たちは、栗林達将校の配膳に困惑しました。
将校の食事は他の一般の兵と違い、皿の数からして違っていたためです。
それを「他の兵士達と同じにせよ」と言われても、どうしてよいのかわからなかったのです。

しかし栗林は笑いながら、「では、皿だけ並べておけばよい」と言い、空の皿を前に食事をしたといいます。
水については、硫黄島には馬が三頭いましたが、騎兵出身であった栗林は一度も乗る事はありませんでした。
馬を歩かせれば水をたくさん飲むから、というのがその理由でした。

硫黄島では水は一人一日、水筒一本と決められていましたが、栗林自身もその規則に従い、見回りの時には総指揮官が来たというので貴重な水で茶を沸かして出す部隊もありましたが、彼は口をつけることはありませんでした。

そして、洗面器ほどの器に入れた水で顔を洗い、その後に副官であった藤田正善(ふじた まさよし)中尉が顔を洗い、残りは丁寧に取っておき、便所の手洗水にしていました。

ある部隊長が、水槽から汲んだ水に手ぬぐいを浸して身体を拭ったのを見た時、彼は烈火の如く怒り、「銃殺に値する」 とまで言いました。 
この島ではそれほど水は貴重だったのです。

硫黄島へ着任した栗林は、将兵の象徴とも言える軍刀を持たず、代わりに長い木の棒を持っていたと言います。
そしてその棒には目盛りが刻まれており、何か作業をするときには物差し代わりに使用していました。

硫黄島で生き残った兵士のほとんどは、栗林を見たり話したと証言しています。
通常、一般の兵が総指揮官と顔を合わせるなど、他の基地ではありえない事でしたが、栗林は毎日毎日島を歩き周り兵達を励まし、時には自らが作業を手伝ったといいます。

つまり、階級にかかわらずすべての将兵が不便を分かち合い、苦楽をともにすべきであるとの方針に加え、食事を同じとしたのは、部下達の栄養状態を熟知しておく事が必要だと考えたためでした。

プライベートでは、家族宛ての手紙を数多く出しています。
特に末っ子のたか子の事を「たこちゃん」と呼び、気にかけていました。
出征当時、いつもは聞き分けのいいたか子(当時9歳)は大泣きして栗林を困らせました。

死を覚悟して硫黄島へ出向いた栗林は、たか子が幼くして父親を亡くす事を案じて不敏に思い、たか子宛ての手紙を数多く書いています。

そのほか妻の義井(よしい)宛ての手紙には、出征前にお勝手の隙間風を防ぐ措置が出来なかった事を気にかけ、風の防ぎ方の説明を詳細に絵に描き送っています。
「私からの手紙は、これからはもう来ないものと思って下さい」と書いた遺書代わりの手紙を数多く送っています。

その一つをご紹介いたします。
「最後に子供達に申しますが、よく母の言い付けを守り、父なき後、母を中心によく母を助け、相はげまして元気に暮らして行くように。

特に太郎は生まれかわったように強い逞しい青年となって母や妹達から信頼されるようになることを、ひとえに祈ります。
洋子は割合しっかりしているから安心しています。

お母ちゃんは気が弱い所があるから可哀相に思います。
たこちゃんは可愛がってあげる年月が短かった事が残念です。
どうか身体を丈夫にして大きくなって下さい。
妻へ、子供達へ、ではさようなら。夫、父」

追伸
一、
持って来たものの中、当座いらないものをこの便で送り返します。
記念(かたみ)の品となるとも思います(遺品、遺骨の届かない事もあります)。
軍用行李が届いたらあるいはまた送り返すものがあるかも知れません。 
ウィスキーその他の追送は一切不要です。
届くか届かないかも不明だし、届いてもその時はもう生きていないかも分かりません。

二、
家の整理は大概つけて来た事と思いますが、お勝手の下から吹き上げる風を防ぐ措置をしてきたかったのが残念です。
太郎に言いつけて来たことは順々にやった事と思います。
師団の林はまだあれきりでしょう。 

三、
私は今手紙をどこへも一切出しておりません。
もし昔の兵隊や友達などから問い合わせのあった時は、ただ南方某地へ出征したという事だけ返事してやって下さい。

出征直前には天皇に拝謁して直接激励され、二万余りの兵を束ねる最高指揮官が、遺書代わりの手紙で最後の心残りとして記したのが、留守にしている台所の隙間風だったのです。

しかしこの手紙は遺書にはなりませんでした。
ほかには、風呂の湯垢の取り方や、妻の赤ギレや子供への小遣いの心配など家族の生活を心配する手紙を、毎回遺書として米軍上陸までの約八ヶ月間に四十一通も出しています。

彼自身は水も無い地獄の島で明日の命もわからないにもかかわらず、ただ家族の心配をし、家族の為に自らの命を懸けて戦う覚悟をしていたのです。

1945年(昭和20年)3月16日、彼は最後の総攻撃を決心し、16時過ぎに大本営に宛てて訣別電報を発します。

その最後には辞世が三首読まれていました。
その始めの一首をご紹介しますと、
「国ノ為重キツトメヲ果タシ得デ 矢弾尽キ果テ散ルゾ悲シキ」
とあり、彼は将兵達の命を懸けた戦い振りと死んでゆく将兵達を思い、軍人にあるまじきタブーである「悲しき」という言葉をあえてしたためたのです。

しかし、この訣別電報が新聞に報じられる時、一億玉砕を唱える大本営は「散るぞ悲しき」を「散るぞ口惜し(くちおし)」と変更するようマスコミに通達したのです。

翌17日には地下洞窟内にいる全員に一杯の酒と恩賜のタバコ二本を与え、別れの盃を交わしています。
そして3月25日、ついに彼は最後の訓辞を述べます。

「予が諸君よりも先に、戦陣に散ることがあっても、諸君の今日まで捧げた偉功は決して消えるものではない。
いま日本は戦に敗れたりといえども、日本国民が諸君の忠君愛国の精神に燃え、諸君の勲功をたたえ、諸君の霊に対し涙して黙祷を捧げる日が、いつか来るであろう。
安んじて諸君は国に殉ずべし。」

通常なら最後の総攻撃の際、総指揮官は陣の後方で切腹するのが常識でしたが、彼は自らが 「予は常に諸子の先頭に在り」 と宣言したとおり、陸海軍約400名の先頭に立ち、1945年(昭和20年)3月26日朝、ついに戦死します。

この栗林の最後の総攻撃は、日本軍特有の玉砕覚悟のいわゆる「バンザイ突撃」ではなく、物音ひとつたてずに敵に近付き攻撃するという最大の混乱と破壊を狙った優秀な計画であった、とアメリカ軍は「米海兵隊戦史『硫黄島』」に記しています。

最後の総攻撃の時、白襷をし日本刀を手に先頭を突き進んだ栗林は、右大腿部に重傷を負いましたが、司令部付曹長に背負われながらなおも前進し、その後出血多量で死亡したとも、拳銃で自決したとも言われており、彼の死因や亡くなった場所は定かではありません。

戦史に残る壮絶な戦いを指揮した軍人「栗林忠道」は、ひとたび戦地へ出向くと年齢や階級の分け隔てなく平等に対応し、兵士達の厚い信頼を得て(そのことはアメリカ軍側に発狂者が続出したのに対し、日本軍側には一人の発狂者も出なかった事からも伺えます)、
最後は総指揮官として玉砕ではなく任務を真っ当した戦いを見せた、帝国軍人らしからぬ軍人でした。
それと同時に、家族と自宅のお勝手の隙間風が心配で仕方のない夫であったのです。 

中川州男

日本軍1万vsアメリカ軍5万


2015(平成27)年4月、天皇皇后両陛下が大東亜戦争の激戦地の一つ、パラオ共和国のペリリュー島を訪れ、英霊たちを慰められたことは記憶に新しいと思います。

ペリリューの戦いは日本兵1万人が米兵5万人を迎え打ち、その戦況は熾烈(しれつ)を極めました。島の規模は小さく、米国の海兵連隊は圧倒的な兵力で、当初2~3日間で決着をつけるつもりでいました。

しかし、日本軍は実にここで72日もの間、必死に戦い抜いたのです。
日本軍守備隊長を務めたのは、中川州男(くにお)という陸軍大佐でした。結果的に見れば日本軍は玉砕、中川も自刃したとはいえ、2か月以上に及ぶ戦闘に耐え抜き、敵軍を著しく消耗させたのは、この中川の卓越したリーダーシップによるものでした。

今回は日本人にはほとんど知られていない、この中川州男という名将にスポットを当ててみたいと思います。

中川州男は1898(明治31)年に熊本で生まれました。陸軍士官学校を卒業し陸軍歩兵少尉に任官の後は、歩兵第48連隊中隊長などを歴任。

1937(昭和12)年盧溝橋事件が勃発、シナ軍との全面戦争に突入すると、中川は野戦指揮官として手腕を発揮し、その功績によって陸軍大学校に学び、陸軍大佐へと昇進します。歩兵第2連隊長となった中川は、連隊に所属する第14連隊が満洲から日本の統治下にあったパラオ諸島に配属されたのに伴い、ペリリュー島守備隊長に就任することになります。

想定外の現実に対し中川はどう立ち向かったか米軍がペリリュー島へと上陸作戦を開始したのは、その翌年の1944(同19)年9月のことでした。

中川は陸軍大佐です。島での戦いに的を絞って訓練を重ねた米国の海兵連隊とまともに交戦すれば勝ち目がないことを知っていました。驚くべきことですが、それまでの日本軍には島での交戦を想定した戦略や戦術の蓄積は全くありませんでした。

同年、日本の生命線であるサイパン島が陥落し、日本本土が米軍の攻撃の照準に入るまで、日本軍には島嶼(とうしょ)戦という発想がなかったのです。大東亜戦争まで、日本陸軍の一貫した敵国はソ連であり、太平洋でアメリカと一戦を交えるといった発想自体がそもそもありませんでした。

中川は熟考を重ねて戦略を練り上げていきました。実は、中川は満洲からパラオに配置換えになった時、大連の港を出発する直前、参謀本部で島嶼戦について一人で研究していた堀栄三の話を聞き、それを詳細にメモしていました。そこで中川が初めて耳にしたのが艦砲射撃という概念でした。

米軍の軍艦の大砲は、陸軍のそれとは全く比較にならないほど強烈な破壊力がありました。軍艦一隻の大砲は、陸軍の兵力の5個師団にも相当し、その威力は厚さ2メートル以下のコンクリートはたちまち吹き飛ばされてしまうというのです。

パラオに移る直前に知らされたこの現実は、中川にとっては衝撃だったに違いありません。事実、米軍はペリリュー島に軍艦を寄せ、中川隊の5倍の先鋭部隊を投入してきました。力の差は歴然でした。
では、中川はどのようにしてこれに対峙したのでしょうか。

中川がまずやったのは、音を立てずに米軍の上陸をじっと待ち構えることでした。米兵の多くが上陸してしまえば、米軍は下手に艦砲射撃はできないと読んだのです。
この読みは当たりました。戦闘に当たって中川は500以上ともいわれる島内の洞窟に坑道を掘って島全体を要塞化していました。そして米軍の上陸とともに徹底したゲリラ戦法を展開したのです。

硫黄島の戦いに引き継がれたペリリューのゲリラ戦法


この戦いによって日本軍は僅か1連隊にして、米軍の海兵連隊や陸軍歩兵師団に大打撃を与え、交替を余儀なくさせました。
これは特筆に値することです。兵隊の決死の努力は言うに及ばず、しっかりした指揮官がいなければ、ここまでの戦いはできなかったでしょう。

中川が主導したゲリラ戦法は硫黄島の戦いにも応用されることになります。
ペリリューの戦いの時、私は中学2年でしたが、新聞やラジオで毎日のように、その激戦ぶりを報道していたことを思い出します。
天皇陛下も島の兵士たちをいたく気遣われ、軍事面での特別の功労があった兵士たちに贈られる嘉賞(かしょう)を中川隊に11回も出されています。

実際に兵士たちに届いたのは2回まででしたが、生還者の話では、この嘉賞は兵士たちを大いに奮い立たせたようです。

陛下が見守ってくださっていると思えば、千人力、万人力を得た思いだったことでしょう。大東亜戦争が終結した後も、34名の兵士たちが2年間洞窟内で生き延びました。アメリカ軍が残した食糧で食い繋ぎ、米軍兵士の鉄砲を手にしてゲリラ戦を続けていたことも日本軍の精神力を物語るものです。

与えられた条件をすべて生かして戦い抜いた陸軍の名将


このペリリューの戦いをとおして、私たちは当時日本軍が抱えていた様々な問題点を知ることができます。 

島嶼戦を続けるための海兵隊を組織しなかったこともそうでしょう。サイパン島が陥落するまで島の守りに無頓着だったことが、日本を敗戦に追い込む引き金となりました。大正時代から準備していたアメリカとの差が大きかったのです。

だが、一方でそういう負の一面に立ち向かった将がいた事実を忘れてはいけません。中川はまさにそういう人でした。中川は人一倍の胆力の持ち主だっただけではありません。 

戦いに臨むに当たっては徹底して戦略や戦術を練り上げ、僅かの期間に準備をしたのです。そして現に兵数、物量ともに劣る絶対的に不利な条件にも関わらず、敵が予想しなかった驚くべき互角の戦いを展開したのです。
そこに、将として本来あるべき姿を見るのは私だけではないでしょう。
 
(本記事は弊社刊『忘れてはならない日本の偉人たち』〈渡部昇一・著〉から一部抜粋・編集したものです。

池田末男(いけだすえお)


日ソ中立条約を破って突然攻めてきたソ連軍

1945(昭和20)年8月8日、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し、満洲に攻め入りました。そしてその10日後の18日、今度は北方の千島列島に数千の兵を送り込んできました。スターリンは北海道の北半分を掌中に収めようと企てたのです。

もし、この計画がそのまま実現していれば、日本列島は大きく侵食されていたはずです。だが、スターリンの思惑どおりにはなりませんでした。

ソ連軍と戦い、その力を消耗させ、圧倒的な勝利を手にした日本の勇士たちがいたのです。その中心となったのが陸軍戦車第11連隊の兵士たちであり、その連隊長は「戦車隊の神様」とも言われた少将・池田末男(当時は大佐)でした。

「神様」が率いる組織は強力です。実際、11連隊は十一が「士」になることから、「士魂部隊」という異名を持つほどの精鋭揃いで、敗戦前には千島列島の北方に位置する占守島(しゅむしゅとう)で軍務に当たっていました(いまの自衛隊にも士魂部隊があります)

群を抜いていたのは戦闘能力だけではありませんでした。池田連隊長は部下からの信望もすこぶる厚く、極寒の地において、自分の下着を決して部下に洗わせるようなことはしなかった、というほどの人格者でした。兵たちには「おまえたちは私に仕えているのではない。国に仕えているのだ」と諭していたといいます。
そういう連隊長との絆が兵士たちの志気を高め、11連隊の組織力をより強固にしたことは想像に難くありません。

日本兵の死者800名、ソ連兵の死者3000名~北海道の盾となった占守島の戦い~


敗戦の報。それは兵士たちにとって辛いものでしたが、同時に家族が待つ故郷に帰れるという希望の報せでもありました。

占守島の兵士たちも武装解除に動き、故郷の両親や妻子との再会に胸を膨らませながら復員の準備を始めていました。ソ連が多数の船艇を連ねて占守島に押し寄せたのは、まさにそういう時でした。日本軍の不意を突いて一気に占拠しようという作戦です。

急報を受けた池田連隊長は、島内の天神山に集結した部隊に「諸子は赤穂浪士のように恥を忍び後世に仇を報ずるか、白虎隊となって民族の防波堤となるか」と呼びかけます。全員が白虎隊となる意思を確認するや、勇ましく出撃するのです。

戦いは熾烈を極めました。21日の停戦までの4日間で日本兵の死者は約800名、一方のソ連兵は3000名の兵が戦死しました。この数だけを見比べても力の差は歴然というべきでしょう。

それは即「戦車隊の神様」である池田連隊長の統率力を物語っています。池田連隊長は乗っていた戦車が攻撃され、亡くなってしまいましたが、確かに日本を圧勝へと導いたのです。

日本軍の力に圧倒されたソ連は自分たちが一方的に侵攻していながら大きく後退し、音を上げて停戦を求めたくらいですから、いかにタジタジの状態であったかが分かります。
だが、悲しいかな、日本軍が占守島の戦いに勝利しても、敗戦国という動かすことのできない事実からは逃げられません。ソ連軍の監視下で武装解除し、日本の兵士たちは捕虜となり、シベリア抑留となるのです。

マルハニチロの女子従業員400名の命を守る


占守島の戦いを巡っては、一つの感動的な話があります。
ソ連が侵攻を開始してきた時、日魯(にちろ)漁業(現マルハニチロ)で働く約400名の女子従業員たちがいました。日本軍は彼女たちをすぐに漁船に分乗させ、北海道へと避難させました。

戦闘やソ連兵による暴力行為の巻き添えとならないために、ソ連軍の爆撃が続く中、高射砲で命懸けの援護を行い、彼女たちの命を守るのです。

我われが忘れてはならないのは、日本のために戦ってくれた将や無名の兵士たちの存在です。彼らがいなかったら、日本が今日のような繁栄を築くことは決してできなかったでしょう。ペリリュー島の激戦で米軍を追い詰めた中川州男(くにお)しかり、ノモンハン事件やインパール作戦で数々の軍功を挙げた宮崎繁三郎しかりです。

私は戦史上、このような隠れた偉人が多数いたことを、1人でも多くの日本人に知ってもらいたいと願ってやみません。

(本記事は弊社刊『忘れてはならない日本の偉人たち』〈渡部昇一・著〉から一部抜粋・編集したものです。

安江仙弘(やすえのりひろ)


前人未到のユダヤ問題研究


日本旧陸軍の軍人安江仙弘(やすえのりひろ、1888~1950)をご存じだろうか。安江は松本藩士・台湾総督府官吏の安江仙政(のりまさ)の長男として秋田市の平田篤胤(江戸後期の国学者)の生家で生まれた。1909年、陸軍士官学校(21期、同期に石原莞爾、樋口季一郎らがいる)を卒業した。

最終階級は陸軍大佐であった。私が彼の存在を知ったのは、「歴史探偵 昭和史をゆく」(半藤一利氏)の「『コロネル・エヌ・ヤスエ』の名」の章を一読してからである。

「戦前の軍人にもこんなに傑出した国際人がいたのか!」。私は彼の人格と識見に強く打たれた。同書から適宜引用して、軍人として異例ともいえる彼の62年間の生涯を考えてみたい。そこにはリスクを回避する彼の英断と人道主義が見えるはずである。

ユダヤ民族が大切にする聖典に、「ゴールデン・ブック」と「シルバー・ブック」という2冊の本がある。前者はユダヤ民族出身の世界的人物名を記載し、後者はユダヤ民族のために貢献した外国人に名を登録したものとされる。
いずれも神聖な経典として扱われている。シルバー・ブックではなく、ゴールデン・ブックに名を記されている日本人が2人いる。
ユダヤ民族が2人の日本人に感謝の意を表するために、特にその判断を下したと考えられる。樋口季一郎と安江仙弘の士官学校同期である2人の陸軍軍人である。

樋口中将は終戦時に北方方面の軍司令官として、樺太・千島に侵攻するソ連軍を迎え撃ち、勇猛ぶりを発揮した軍人として知られる。だが安江大佐については知る人は少ない。
彼は1940年に東条英機陸軍大臣の怒りを買い、電報1本で予備役に編入(俗にいえばクビ)された。昭和史の表面からは消え去っている。しかし、ユダヤ民族が彼の名を栄えあるゴールデン・ブックに記したのは、その翌年のことなのである。日本陸軍の処分がいかに不当であるかを証していよう。

安江にユダヤ民族に対する眼を開かせたのは、シベリア出兵(1918年)であったとされる。
青年中尉として従軍した彼は、戦場を駆け回る間に、白系ロシア人に触れ、ユダヤ人の存在を知るようになった。彼の視野は国際的に広がり、陸軍部内にユダヤ問題は研究している者はおろか、その重要性を知る者も皆無という現状を憂え、前人未到のユダヤ問題の研究に邁進するようになった。

しかも安江は、やりだしたら徹底してやり抜く性格であった。たちまち研究の広さと奥行きは非凡なものになった。
「幸いであったのは、当時の陸軍に、彼のような才幹を育て生かそうとする進取の空気がまだ残っていたことである」(半藤氏)

1927年秋、安江少佐(昇級)はユダヤ問題研究のためヨーロッパに出張を命じられ、海外各地でユダヤ人指導者たちと面会し、彼らの置かれた実情と歴史と理想さらには祈りとに触れた。

ユダヤ人救出作戦


マルクス、レーニンのように思想界に、ガリレオ、エジソン、アインシュタインのように学界に、ワグナー、ブラームス、メンデルスゾーンのように音楽界に、ハイネ、ダヌンツィオのように文学界に、そしてロックフェラー、ロスチャイルドのように財界にと、それぞれの分野で世界を指導する大人物を輩出しながら、国を追われ、帰るべき国もなく、嫌われ者として世界各地でひそかに生き抜くユダヤ民族の姿。安江はユダヤ問題のすべてを探求していった。

1938年、初代大連特務機関長として中国・大連に着任した時の安江大佐は、ユダヤ問題の研究を通して、人間的にも大きく成長していた。彼には、満州という大地に生きるユダヤ人、白系ロシア人、中国人、朝鮮人などの区別はなかった。
誰とも同等に接し、いずれの民族に対しても学ぶべきものがある、と説き、「およそ夜郎自大化する陸軍軍人とは無縁の存在となった」(半藤氏)

ユダヤ人について、彼は「その国に対する熱情、神の選民たる自負心、主義主張を超越した強固な民族団結力と、その不断の向上的努力について、大いに学ぶべきである」と語る。
その彼に試練を与えるかのように、世界情勢が解決困難な問題を投げかけてきた。ヒトラーのドイツの迫害を逃れた数千人のユダヤ系や白系ロシア人が、シベリア鉄道で満州に流れ込んで来たのである。
関東軍も、陸軍中央も、この避難民の集団を前に苦虫を嚙み潰した。ナチス・ドイツは世界で唯一の友邦ではないか。安江大佐は直ちに日本へ飛んだ。

「窮鳥ふところに入れば猟師もこれを撃たずという。世界を一つの家となす、つまり大日本帝国が理想とする八紘一宇(はっこういちう)の精神とは、いずれの民族であろうと差別はつけぬということではないか。今こそ日本は、その建国の本義を宣揚すべき時である」


陸軍中央での大佐の火を吐く論調は、国の大方針を動かした。「公正な取り扱いをすること」に国策を決定させたのである。
満州は広大で資源が豊富である。ぞくぞくと増えつつある避難民たちは、いくつかの地区に分けられ民団組織をつくり、責任者を決めて生活することを許された。安江大佐の献身が実を結んだのである。

「コロネル・エヌ・ヤスエ」と人道主義


保護活動に尽力する安江大佐には、異民族、異宗教だからという区別はない。それは彼の世界観と温かい人間性に根差している。誰彼の区別なく味方になった。それを誰に対しても崩そうとはしなかった。

イスラム教徒にも、白系ロシア人にも、安江大佐は国家を超越して保護の手を伸ばした。彼が願っているのは、すべての人に、特に恵まれぬ人々、しいたげられた民族に、安んじて生きられる世界を与えることにあった。 

それ一点に彼は全精力を注ぎ込んだ。「それが五族協和・王道楽土という満州国建設の大目的に合致することだ」と信じ抜いていた。
1940年9月、日独伊三国同盟が成立した。

ドイツは、満州と上海とを結んだ安江大佐の避難ユダヤ人救助作戦に対し、これは同盟関係を無視する非友好的な行為だと厳重な抗議を申し込んできた。陸軍中央(東条英機陸軍大臣)は即座に安江大佐をクビにすることで、ドイツに媚(こ)びを売った。安江は抗議もむなしく、以後は憲兵に監視される要注意人物となった。

だが、その後も勇気と信念をもって、しいたげられた人びとの保護に力を尽くした。
国家に反逆した安江の努力は多くのユダヤ人を救った。救われたユダヤ人たちが、民族の続く限り感謝と敬慕を贈る証として、その人が異民族・異宗教であることを忘れ、ゴールデン・ブックに「コロネル・エヌ・ヤスエ」(N.安江大佐)の名を記した。至誠をもって高潔な人道主義を貫いた安江に対する最もふさわしい贈り物となった。 

敗戦間際、ユダヤ人有力者を通じて、彼は和平工作を行ったという。それはユダヤ人や白系ロシア人を救出したように、一億玉砕という暴挙から日本人を救うための、生命を賭した最後の努力であった。

その悲願も空しくなった1945年8月、多くの高級軍人・官僚がさっさと逃げ出す満州にあって、逃れられたにもかかわらず、安江大佐はそこに踏みとどまった。敗戦後の1950年、安江はハバロフスクの捕虜収容所で病死した。
(参考文献:「歴史探偵 昭和史をゆく」半藤一利、PHF文庫)

樋口季一郎 

(ひぐちきいちろう) 


2万人のユダヤ難民を救済 

ユダヤ協会の樋口救出運動  「偉大なる人道主義者」  


樋口季一郎は、人を力で威圧しようとする権威主義的体質を全く感じさせない希有な軍人だった。
これは、ワルシャワでの駐在武官時代に開花した性格と言われている。各国の要人との幅広い交際が、弾力性のある国際感覚に磨きをかけ、ユダヤ人に対する深い同情を持つに至ったのである。
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陸軍きってのロシア通


  ヒトラーのユダヤ人弾圧が猛威をふるっていた頃、約2万人のユダヤ難民を救済した日本人がいた。特務機関長としてハルピンに勤務していた陸軍少将樋口季一郎である。

樋口の名は、外交官としてユダヤ難民を救済した杉原千畝ほどには、一般的に知られているわけではない。しかし、イスラエルの「黄金の碑」に「偉大なる人道主義者 ゼネラル・ヒグチ」と刻印され、その名はイスラエル建国の功労者として永遠に顕彰されている。

  樋口季一郎が生まれたのは、1888年8月20日、奥浜久八とまつの間の長男として、兵庫県淡路島に生まれた。

11歳の時に両親が離婚、季一郎は母まつに引き取られた。大阪幼年学校を出て、陸軍士官学校へと進み、歩兵第一連隊勤務となり、軍人としての道を歩み始めた。

樋口姓を名乗ったのは、18歳の時に、岐阜県大垣市の樋口家に養子になったからである。

  その後、陸軍大学に進んだ樋口は、ドイツ語を学んだが、第二外国語にロシア語を選んだ。陸軍の仮想敵はロシアであり、ロシアに対する研究が重要と判断したからである。 

陸大卒業後、参謀本部勤務となり、対ロシア関係の仕事に従事。後年、陸軍きってのロシア通となった素地はこうしてできあがった。 
  ポーランドの駐在武官として、ワルシャワ行きを命じられたのは、30歳頃のことである。このポストは、対ロシア研究の最重要ポストとされていた。

ポーランドはロシアの隣国であり、ロシア情報の収集に最も適していたからである。当時、ポーランドの諜報戦略は、世界のトップレベルにあると言われていた。

陸軍上層部が、樋口をこのポストに選んだのは、彼が優秀であったことはもちろん、彼が暗号解読技術をポーランドに学ぶべきだと具申していたからでもあった。

ユダヤ老人との出会い


  駐在武官として、各国の外交官、武官などとの交際が実を結び、樋口はソ連領内のコーカサス地方にはじめて入ることに成功した外国人となった。

貴重なソ連情報を収集できたことは言うまでもない。当時、ソ連は革命政権誕生間もない頃で、外国人の入国を一切許可していなかった。厳重な鉄のカーテンで閉ざされていたのである。

  後にユダヤ人から恩人と称賛された樋口は、この時の旅で一人の不思議なユダヤ人の老人と出会っている。

グルジアの首都チフリス(現在のトビリシ)郊外にある貧しい集落を歩いていたときのことである。
髭を生やした一人の痩せた老人が、樋口ら一行に近づいてきた。老人は、彼らが日本人だと聞くと顔色を変え、家の中に招き入れ、話し始めた。「私はユダヤ人である。世界中で一番不幸な民族であり、どこに行ってもいじめられてきた」

  こう言った後、「日本は東方の国で、太陽が昇る国。あなた達日本人は、ユダヤ人が悲しい目にあったとき、きっと助けてくれるに違いない。あなた達がメシア(救世主)なのだ。きっとそうに違いない」と続けた。 

老人は、こぼれ落ちる涙をぬぐおうともせず、困惑する彼らの前で祈りを捧げ始めた。樋口は、老人の言葉を単にたわいもない妄想と片付けることができなかった。
老人の顔に刻まれた皺とその涙に、流浪の民の悲哀、そして救いを希求してやまない民族の悲劇を垣間見た思いがしたのである。

カウフマン博士の訪問


  樋口が、ハルピンの特務機関長という重要なポストを与えられたのは、日中戦争が勃発した直後の1937年夏、49歳の時である。陸軍きってのロシア通であり、諜報戦略の権威と認められての抜擢であった。

満州国に来てみて、樋口が驚いたのは、独立国というのは表向きのことで、その実態は日本の植民地にすぎないという事実であった。

どこに行っても日系官吏が幅をきかせている。そればかりではない。あらゆる階層の日本人が、利権あさりに汲々としていた。
  こんなことでは、満州国は民衆にそっぽをむかれ、早晩内部崩壊してしまう。樋口は若手将校を集めて、「満人の不満をよく聞いてやるようにつとめよ。また悪徳な日本人は、びしびし摘発しろ」と命じた。

樋口の元にユダヤ人医師カウフマン博士が訪ねてきたのは、樋口の不良日本人退治が、大いに実績を上げ始めた頃のことである。
  カウフマン博士は、ハルピンユダヤ人協会の会長で、総合病院を経営する内科医、アジア地域におけるユダヤ解放運動のリーダーとして知られていた。

博士の話はこうだ。ナチ・ドイツのユダヤ人迫害は激化する一方。こうした非道を全世界に訴えるため、ここハルピンで極東ユダヤ人大会を開催したい。その許可をいただけないかと言うことであった。樋口は快諾した。「博士、おやりなさい。あなたがたの血の叫びを、全世界の人々に聞いてもらいなさい。私もおよばずながらお力になりましょう」

  第一回極東ユダヤ人大会が、ハルピン商工倶楽部で開催されたのは、翌年(1938年)1月15日。東京、上海、香港などから、ユダヤ人の代表およそ2千名が集まり、広いホールがユダヤ人で埋め尽くされた。

各地域の代表が次々に登場した後、最後に来賓として招待されていた樋口が演壇に立った。会場が一瞬シーンと静まりかえったという。

「20世紀の今日、ユダヤに対する追放を見ることは、人道主義の名において、また人類の一人として、私は心から悲しまずにはおられないのである」

  樋口は続けた。

「ユダヤ人を追放する前に、彼らに土地を与えよ!安住の地を与えよ!そしてまた祖国を与えなければならないのだ」


演説が終わった。すさまじい歓声が鳴り響き、熱狂した青年が壇上にかけ上がり、樋口の前に跪いて号泣しはじめた。協会の幹部たちも、感動で顔を紅潮させ、樋口に次々に握手を求めてきた。

オトポール事件


  樋口の演説は、内外に大きな波紋を引き起こした。特に関東軍司令部から批判が起こった。「日独関係を悪化させるような論調は許されない」。「即刻彼を罷免すべきだ」などである。

しかし、彼の懲罰問題がまだ決着を見ていない3月8日、重大事件が勃発した。
  満州里と国境を接する、ソ連領オトポールにユダヤ難民が吹雪の中で立ち往生しているという。ナチスのユダヤ人狩りを逃れてきたユダヤ人であった。
その数は約2万人、満州国に助けを求めたが、満州国は彼らの入国を拒否していた。難民の食糧はすでに尽き、飢餓と寒気で死者が続出しているという。

  カウフマン博士が樋口の部屋に飛び込んできた。難民の窮状を訴え、樋口の助けを求めたのである。樋口は苦悶した。陸軍の現状は、すっかりヒトラーに幻惑され、ドイツ一辺倒に傾きつつあった。その陸軍と関東軍を相手に、首を覚悟して戦わなければならないことになるかもしれない。

  樋口の脳裏にグルジアで会ったユダヤ老人の言葉がよぎった。「あなた達日本人が、きっと助けてくれる。あなた達がきっとメシアなのだ」。樋口の心は固まった。「よし、俺がやろう。軍を追放されてもいい。正しいことをするのだ。恐れることはない」

迷いが消え、決然としてカウフマン博士に言った。「博士、難民の件は承知した。博士は難民の受け入れの準備にかかって欲しい」
博士は樋口の前で声を上げて泣いた。樋口の行動は早かった。大連の満鉄本社の松岡総裁に連絡をつけ、交渉に入った。一刻の猶予もない。

  その2日後の3月12日、ハルピン駅にユダヤ協会の幹部たちが、救護班を伴い列車の到着を今か今かと待っていた。

列車が轟音と共に滑り込む。どよめきの声がホームに広がり、担架を持った救護班が真っ先に車内に飛び込んだ。
病人が次々に担架で運び出され、ホームは、痩せこけ目がくぼんだ難民たちでいっぱいになった。だれかれとなく抱擁し、泣き崩れる難民たち。
カウフマン博士は、涙で濡れた顔をぬぐおうともせず、難民たちに労りの声をかけていた。凍死者十数名、病人二十数名ですんだのは不幸中の幸いだった。樋口の判断がもう一日遅れれば、もっと悲惨な結果を迎えていたと言われている。

ユダヤ人の恩返し


  このオトポール事件は、戦後の樋口の人生を大きく変えることになる。戦後、ソ連は樋口を戦犯容疑者として、連合軍に樋口の引き渡しを要求してきた。
ソ連から見れば、樋口はハルピンの特務機関長、つまり対ソ情報活動の総元締めであった。そればかりでなく、北方軍司令官として樋口は、日ソ中立条約を一方的に破棄して日本に宣戦布告したソ連と樺太、占守島で勇敢に戦い、ソ連軍に多大な被害を与えた。ソ連から見れば、樋口は憎むべき司令官であった。

  しかし、マッカーサー将軍は、樋口引き渡しの要求を断固拒絶した。マッカーサーの背後には米国国防総省があり、それを動かしたのは、ニューヨークに総本部を置く世界ユダヤ協会であった。
ユダヤ協会の幹部には、オトポールで樋口に助けられた難民が幾人かいた。彼らは、「オトポールの恩を返すのは今しかない」と言って、樋口救出運動を展開したのである。こうして樋口はシベリア送りを免れた。

  樋口自身、この救出運動を知ったのは、実は戦後5年を経てからであった。1950年、アインシュタイン来日の折り、東京渋谷のユダヤ教会でユダヤ祭が開催されることになった。
ここに樋口夫妻が招待され、幹事役のミハイル・コーガンが演壇でスピーチを始めた。実は、このコーガンは、ハルピンで開催された極東ユダヤ人大会で、樋口の護衛を務めたユダヤ青年であった。彼から、驚くべきことが伝えられた。

  世界ユダヤ協会が樋口救出運動に乗り出していたという。また、イスラエル建国(1948年)に当たり、国家建設と民族の幸福に力を貸してくれた人々を功労者として永遠に讃えるため、「黄金の碑」を建立することになった。
その碑に樋口の名と「偉大なる人道主義者、ゼネラル樋口」の一文が、上から4番目に刻まれているという。

  コーガンの話が終わると、講堂を埋め尽くしたユダヤ人たちは、「ヒグチ」「ヒグチ」と連呼し、拍手と歓声は鳴りやまなかった。樋口はこのどよめきの中で、「私は人間として当然やらなければならないことをやっただけである」と呟いたという。1970年10月11日、偉大な人道主義者樋口季一郎の生涯が終わった。


継続的イノベーションをめざすために


21世紀の起業GMを世界最大級の製造業企業へと成長させたアルフレッド・スローン。彼によると、製品や市場の予測をもとに事業部ごとの目標を立て、目標を達成できるかどうかを昇進判断の基準にすればいいという。

これは20世紀の総括マネジメントの基礎となり、現在も広く使われている。しかし、こうした従来型のマネジメントは、不確実性への対処を苦手とする。

そこで出番となるのが、不確実性を前提に、アントレプレナーシップをマネジメントの原則の1つとしてとらえる、21世紀の起業マネジメントである。

両者をうまく組み合わせることで、継続的なイノベーションへの新たな活力が生まれる。これは、著者が提唱した「リーン・スタートアップ」を、スタートアップだけでなく、伝統的な大企業に導入するための方法論だ。その名も「スタートアップ・ウェイ」である。

スタートアップ・ウェイを支える5原則


スタートアップ・ウェイを支える5原則を紹介しよう。1つ目は、継続的イノベーションである。長期の成長に必要なのは、組織のさまざまな人材と創造性を活用し、新たなブレークスルーを見つける方法だ。

2つ目は、スタートアップを仕事の原子単位とするということだ。継続的イノベーションをくり返すには、実験のできるチームが必要となる。

3つ目は、欠けている機能、アントレプレナーシップである。多くの組織では、マーケティングや財務などと同じく成功に欠かせない機能、アントレプレナーシップが欠けている。これを補い、新たなやり方で社内スタートアップを管理しなければならない。

4つ目は、再創業だ。創業からの歴史の長さを問わず、組織の構造をここまで大きく変えるのは、会社を創業し直すに等しい。 

5つ目は、継続的変容である。新たな課題に直面するたび、組織のDNAを書き換える組織的能力を磨かなければならない。 

スタートアップ・ウェイはどのような業界、規模、セクターにも応用可能である。起業家的な文化を維持しながら成長することで、何度も革新を続け、永続的な繁栄を手にできるのだ。

先進企業

真の先進企業とは?

あなたの企業は次のような状態になっていないだろうか。指示命令の経営管理によって、安定した成長を期待され、四半期決算などにより、短期的なパフォーマンスを高めろという圧力にさらされている。

また、失敗をチャンスととらえるといいながらも、報酬や昇進、評価方法から発されるメッセージは全く異なっている。プロジェクトには的確さを求め、費用と時間のかかる巨大プロジェクトを推進しがちだ。財源は給付型で、毎年ほぼ同額である。これらはいずれも、古くさい企業の特徴だ。

これに対し、スタートアップ・ウェイを実践している先進企業では、社員一人ひとりがアントレプレナーとして考え、行動する。

重視するのは、継続的イノベーションによって社会に衝撃を与え続け、長期的な成果を手にすることだ。そして、適切な方向転換や有益な情報入手につながる生産的な失敗に報いる。

さらには、数多くの小さな実験でポートフォリオを組み、当たりに集中投資することで失敗のコストを減らす。財源は計量型で、成功確率の高さを証明できれば資金が増える。

本書の第一部では、先進的な企業として、未来への長期ビジョンを体現するのに必要なアントレプレナー的構造を明らかにしていく。
自社にアントレプレナー機能は浸透しているか?

著者は、企業のCEOに会ったとき、次の2項目の責任者が誰なのかをよく尋ねるという。1つ目は、大きく成長し、将来、社内に新部門を設置する可能性があるような構想を統括する仕事。

2つ目は、実験や反復を重視するアントレプレナーの意識をもって、組織が日常業務を行えるようにする仕事だ。

この2項目が職責として組織図に登場することはまずない。しかし、今後はアントレプレナーの意識を組織に吹き込み、その手法を広げていく専任の責任者を置くべきだ。

アントレプレナーシップが独立した部門として扱われ、ハイリスク・ハイリターンのプロジェクトに安定して賭け続ける仕組みを、組織の隅々にまで広げることが求められる。

ではアントレプレナーシップ部門の職務は何か。まずは「社内スタートアップの監督」である。経営層は、社内スタートアップを率いるリーダーに対し、立場に見合ったキャリアパスを用意しなければならない。

成功に欠かせない能力開発基準や、成長を加速する強烈な手法を学ぶチャンスも必要となる。

また、「成功という問題の管理」も、アントレプレナーシップ部門の職務である。スタートアップの実験が成功した場合、それを組織内のどこに組み込むのか、新部門を立ち上げるのか、その決定権は誰がもつのか。

こうしたことを、親組織との摩擦が起きないような形で決め、総括マネジメントと起業マネジメントの両方を駆使するのだ。

アントレプレナーシップは新製品開発のためだけのものではない。それは、エンジニアリングやマーケティング、財務など、他の機能がより効率的になるよう支援し、背中を押してくれる。

スタートアップの精神状態


スタートアップの急成長を支える信念とは何か。まず挙げるべきは「すべてはチーム」という信念だ。シリコンバレーの投資家が投資判断を行う際、アイデアや戦略の優位性よりも、チームの良否を重視することが多い。

なぜならアイデアや戦略は後でいくらでも変化するからだ。「検証による学び(実際のデータに基づく知見)」を活かした実行力のあるチームならば、計画が変更しても成功確率は高いといえる。

もう1つの信念は、「小さなチームが大きなチームに勝つ」というものだ。「大きく考え、小さく始め、すばやく成長する」。これこそがスタートアップムーブメントを下支えする真実だといえる。

スタートアップを駆動するのはミッションやビジョンである。心がふるえるようなビジョンがあるからこそ、メンバーの意識の統一ができ、権限委譲がスムーズにできる。

また、ビジョンがなければ方向転換(ピボット)ができない。ピボットとは、ビジョンを変えることなく戦略を変えることを指す。難しい選択に迫られたときこそ、ビジョンのどの部分が譲れないのかが明らかになり、心強い道しるべとなってくれる。

変革のロードマップ 

スタートアップ・ウェイを組織に浸透させこれまで述べたようなアントレプレナー的な働き方を組織に組み込むにはどうすればいいのか。第二部では、数々の実例とともに、変革のロードマップが示される。

変革は次の3つのフェーズからなる。フェーズ1は実験、適応、解釈によって基礎を築き、「クリティカルマス」を達成するまでの時期である。

スタートアップ・ウェイを自社の文化に合うよう解釈し、自社全体に拡大しようと経営幹部に思ってもらえる状態をめざす。

次は、多方面からの抵抗を乗り越え、スケールアップと展開を進めるフェーズ2へと移行する。

この段階では、革新を担当しない幹部全員にも新しいやり方を学習、理解してもらい、指導者の育成、自社専用のプレーブックの準備、財務や責任の新たな仕組みを構築する。この段階で、次のフェーズを乗り越えるための政治力を確保しなければならない。

その後は、組織の根幹をなす深層の仕組みに斬り込んでいくフェーズ3が待っている。この段階を経なければ、旧弊なやり方に人々が引き戻され、組織変革が頓挫してしまう。

めざすべきは、報酬・昇進の制度、財務、資源の割り当て、法務といった難しい問題に対処し、変革を継続できる組織的能力を醸成することである。

フェーズ1:クリティカルマス


本要約では、変革の序章となるフェーズ1を成功に導くために共通して必要なパターンをとりあげる。

・小さく始める:少数のプロジェクトで始め、徐々に数を増やしてケースや成果を蓄積する。これは、新しいやり方が自分たちの組織に効果的だと示すのに役立つ。

・機能横断的な専任チームの構築:さまざまな部門の協力で生まれるエネルギーを共有するべく、必要な機能をできるだけ多く集めたい。

他の機能や部門から参加するメンバーには、各専門分野で力を発揮するだけでなく、スタートアップ・ウェイを仲間に広めていく「熱心な大使」という役割も期待できる。

・ゴールデンソード:経営幹部に上空援護や予算の確保といった要求を行う。これにより、官僚主義を一掃し、幹部を味方にできる。名づけて「ゴールデンソード(黄金剣)」だ。

・優れた実験のデザイン:顧客の反応を知るために実験で必要なのは、「明快で反証可能な仮説」「明快な次の一手」「厳重なリスク抑制策」「測定項目が少なくとも1つの要となる仮説につながっていること」である。

・成功を測る新たな方法の構築:プロジェクトが成功かどうかを判断する際には、検証による学びが測定できるような先行指標を使う。

たとえば、サイクルタイムだ。サイクルタイムが短縮され、市場に製品を提供して顧客から学ぶタイミングが早まれば、最終的に利益も増える。そのほか、顧客の満足度やエンゲージメント、リピート率なども、将来的な成功の予測に役立つ先行指標だ。

・例外として進める:他部門との調整で難題にぶつかったとき、後見人となる幹部の出番となる。変化をもたらすチェンジエージェントの後見人、そして各チームを援護する後見人がいれば、変革の途中での障害を排除できる。

・新しいやり方を組織全体が理解できる形に落とし込む:フェーズ1では自分たちに合うプロセス(社員が日々の仕事で使うツールや戦術のこと)を作成すべきだ。

ポイントは、各部門にとって意味のある表現で語ることである。たとえばGEは、新しいやり方を支持する文化を醸成するために、自分たちのプロセスを観察し、その本質を組織全体に根づかせるために工夫を重ねた。

それが結実したのが、新しい働き方「ファストワークス」や、変革のための新たなパラダイム「GEビリーフス」である。

創業者やスタートアップ・ウェイを推進するリーダーが情熱を傾けることで、組織内にアントレプレナーシップを醸成する原動力が生まれる。勇気さえあれば、どの組織もこのスイッチを入れられるのだ。

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やってはいけない勉強法

ハイライトは単なる気休め?
世間で推奨されているが科学的には効率が悪い。まずは、そんな勉強法の一部を紹介していく。

1つは、「ハイライトまたはアンダーライン」だ。教科書や参考書の大事だと思った部分に印をつける人は多いだろう。しかし、心理学者の多くはこれを、ただの気休めととらえている。

問題は、ハイライトをひいただけで脳が満足してしまう点だ。脳はあくまで重要な情報を選別しただけで、「この内容には覚える価値がある」とまでは判断しない。よって、中身が頭に定着しない。

さらには、脳の注意がハイライトされた特定の情報にだけ向かうため、情報の全体像を把握しなくなるというデメリットがある。

「忘れる前に復習しよう」は間違い!


もう1つの効率の悪い勉強法は、学んだことを「忘れる前に学習する」ことである。

アメリカで行われた「復習の最適なペース」を探る実験によると、勉強の内容を忘れないうちに復習した生徒は、学期末の成績が最も悪かったという。
 
逆にテストの成績がよかったのは、学んだことを忘れかけた時点で復習した生徒だった。

忘れないうちに復習すると、脳は「すでに知っている情報だから記憶しなくてもよい」と判断してしまう。

よって、忘れた頃に復習するのが正解だ。思い出す作業によって、脳が刺激され、記憶の定着に結びつく。

そのほか、語呂合わせやテキストの再読、自分の学習スタイルに合わせるといった定番勉強法も、科学的には効率が悪いという。

【必読ポイント!】 「超効率勉強法」の基本
使える勉強法に共通するたった1つのポイント
真に効果が高い勉強法には、共通する1つの特徴がある。

それは「アクティブラーニング」である。アクティブラーニングとは、授業を聞きながらノートをとるような受け身の姿勢ではなく、進んで頭を使いながら積極的に学ぶ手法のことだ。

数十年におよぶ研究データによると、効果が高い勉強法は、アクティブラーニングの要素を含むという。著者が本書で提唱するのは、「アクティブすぎるほどのアクティブラーニング化」である。

アクティブラーニング化の2大ポイントとは?


アクティブラーニング化の2大ポイントは、「想起」と「再言語化」だ。 
1つ目の「想起」は、「思い出すこと」である。人間の脳に情報を刻み込むのに最適な時期は、思い出す作業をした直後になる。

模試を何度も受けたほうがいいというアドバイスが科学的に正しいのは、必要な情報を思い出そうとして、脳がよい方向に強化されるからだ。勉強法を見直すときは、「思い出す作業をどこかに組み込めないか」と考えるとよい。

2つ目の「再言語化」は、「自分の言葉に置き換えること」である。これは何かを記憶するよりも、何かを理解するときに大事になる。
たとえば、英語の「on」という前置詞の使い方を理解したいとする。

辞書的な用法をそのまま覚えたり、「on the desk」などのフレーズを丸暗記したりしていないだろうか。これでは応用が利かない。

一方、「onとは、具体的なものに限らず、何かに接触していること」などと、自分の言葉で表現すると、理解がしやすくなる。このように、「わかりやすく言い換えるとどうか」と考えることが、アクティブラーニングの基本である。

想起テク(1)「クイズ化」


ここからは、学習において最も大事な「想起」を使いこなすためのテクニックを紹介する。それは、「クイズ化」「分散学習」「チャンク化」の3つである。

まずは「クイズ化」である。覚えたい情報をクイズにして、自分の記憶度をテストする方法だ。代表例は単語カード、模擬テストなどである。これらを行うと、単にテキストを再読したときと比べて、約50~70%も記憶の定着率が上がることが明らかになっている。

著者のおすすめは、テキストを1ページ読んだら本を閉じて、読んだばかりのページに何が書かれていたかを思い出す方法だ。

想起の回数が多いほど、記憶に残りやすい。そのため、資格試験の公式テキストなどの基礎的なテキストを読むときほど、細かいクイズ化を心がけるとよい。

科学的に最強の勉強法とされる「テスト」も、毎日のように行うべきだ。おすすめは、自分でテストの問題をつくることである。 

まずは、勉強中に覚えたい箇所があったら本を閉じる。次に、その情報を思い出しながらクイズに変換する。ノートに答えを書いて折り、折り返し部分に問題を書いておく。

これによりアクティブラーニング化が進むうえに、内容をかみ砕く過程で、テキストの理解度も深まることが期待できる。

想起テク(2)「分散学習」


想起の2つ目のテクニックは、「分散学習」である。これは「復習の間隔を少しずつ伸ばす」ことである。 

分散学習の精度を高めるには、記憶の薄れるタイミングで復習することが重要だ。おおまかな基準として「2×2のルール」を使うのも手である。

最初の復習は2日後、2回目の復習は2週間後、そして3回目の復習は2か月後。こうしたインターバルで復習をくり返す。

また、「インターリービング」も、分散学習の効果を後押ししてくれる。インターリービングとは、「はさみ込む」「交互に配置する」という意味をもつ語である。

一度の練習時間の間に複数のスキルを交互に練習する手法を指す。

ここ数十年の研究によって、1つの技能をマスターするまで同じ練習をくり返すよりも、1つのセッションで複数の内容を学んだほうが上達しやすいことがわかっている。

ポイントは、学習する内容を3つに絞ること、時間を均等に割り振ること、1セッションごとに休憩を入れることである。

想起テク(3)「チャンク化」


想起の3つ目のテクニックは、「チャンク化」だ。これは、バラバラの情報を分類・選択し、頭に残りやすい「意味のあるかたまり」に再構成する作業を指す。自分の情報のくくり方によって、チャンク化のパターンは無限に存在する。

チャンクを大量に頭に刻み込んでおくと、情報の処理スピードが高速化する。チャンクが無意識下に送り込まれるまで、ひたすら練習をくり返すとよい。

再言語化テク(1)「自己解説」


つづいて、アクティブラーニングの2つ目のポイント、「再言語化」を使いこなすための3つのテクニックを紹介する。

「自己解説」「ティーチング・テクニック」「イメージング」である。

まず「自己解説」とは、学んだ内容について自問自答をくり返して理解を深める手法である。

具体的には学びたい内容をリスト化する。そのテーマについて、それぞれ「原因(WHY)」「メカニズム(HOW)」に関する質問を自分に投げかける。その後、それらの答えを書き出して、正しいかどうか、確認テストをする。

この「自己解説」によって、「もうわかった」という錯覚を克服しやすくなる。

再言語化テク(2)「ティーチング・テクニック」


「ティーチング・テクニック」は、学んだ内容を他人に説明してみる手法である。他人にうまく説明するためには、自分自身がその内容に関して充分に理解することが求められる。

さらには、相手に正しく伝えなければならないというプレッシャーから、勉強のモチベーションも上がる。もちろん、本当に他人に説明しなくてもよい。

他人に「教えるつもり」で勉強するだけでも、効果は得られる。学習の姿勢が能動的になるからだ。

また、「10歳児教授法」も再言語化に役立つ。「この問題を10歳の子どもに伝えるにはどうすればいいか」と考えてみるのだ。すると、比喩表現を使う、相手が知っている知識を使うといった工夫をするようになる。
これにより、自分の理解力も向上するというわけだ。

再言語化テク(3)「イメージング」


「イメージング」は、何らかのシーンを思い描いて学習を促すテクニックの総称である。イメージの力を使うと、脳が活性化する。

イメージを活用する具体的な手法として、英語の理解力を高めるために開発された「パーソナライズ音読」が挙げられる。英文の主人公を「私」に変換して読むというものだ。
 
「パーソナライズ音読」を1日15分ずつ実践した学生は、普通の音読をした学生よりも、文法や内容の理解が10%近く高かったという。自分の物語に置き換えたほうが、イメージが浮かびやすい。その分、理解も進んで記憶の定着も高まっていく。

学習効果を激しく高める! 「勉強前」のテクニック


本当の勉強は「準備」の段階から始まっている
結果を出したいのなら、「勉強前の準備」に時間をかける必要がある。勉強法というと、「効率のよい問題の解き方」や「上手な情報のまとめ方」に気をとられ、準備段階に意識を向けることはほとんどない。

しかし、勉強前に念入りな準備をしないと、アクティブラーニングも万全の効果を発揮できない。科学的に正しい「準備の原則」として、7つのテクニックの一部を紹介する。

自己超越目標をもつ


テクニックの1つは、「自己超越目標」をもつことである。自己超越目標とは、自分の身の丈を超えた大きな目的やゴールを指す。たとえば、「恵まれない人を救う仕事に就きたい」「不公平な社会システムを変えるためにお金を稼ぎたい」といった目標が、これに当てはまる。

テキサス大学は、高校生に対し、「いまの社会の問題点と、それに関して学校の勉強を活かす方法」を考える実験を行った。

すると、この自己超越目標について考えた生徒たちは、スマホのゲームなどに費やす時間が減り、数学や化学の勉強に取り組む時間が2倍も増加。普通に勉強した生徒よりも成績が上がったという。

これは、自己超越目標について考えることで、モチベーションの質が変わったためである。「この知識を学べば他の人の役に立つかもしれない」という感覚が生じ、勉強に大きな意味が与えられるからだ。

勉強前の10分でもいいので、「自分を超えた大きな価値」に思いを馳せてみるとよい。

自然の力で集中力を倍にする


次に紹介するのは、自然のパワーを借りるというテクニックだ。自然には、人の集中力を最適化させる力がある。自然音のアプリを使うもよし、勉強机の上に観葉植物を置くもよし。

おすすめは、木々に囲まれた環境で勉強することである。植物が多い公園、近所の河川敷。こうした自然豊かな場所で勉強すると、集中力が2倍になるという実験結果も出ている。また、自然のメリットを得るには、週1回だけでも充分である。

著者も朝に近所の森に出向いて、本や論文を読んでいる。自然の力のおかげで集中力をキープでき、4時間ぐらい本に没頭する場合もあるほどだ。 

さらにおすすめなのが、勉強前の裸足ウォーキングである。裸足で軽く芝生や土の上を歩いておくと、ワーキングメモリが高まる。

ワーキングメモリとは、短期的に情報を処理する脳の機能のことである。いわば、作業机の天板のようなものだ。素早い判断が必要なときなど、ワーキングメモリの高さが欠かせない。処理能力を高めたいのなら、裸足ウォーキングを試す価値は大いにある。

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ユダヤ商法「七八対二二の法則」


著者は、ダイヤモンドからナイフやフォークといったものまで、多様な貿易で世界のユダヤ商人相手に取引をしてきた。

そんな著者自身が商売の手本としてきたのが、まさにその相手であったユダヤ商人の考え方であり、本書はそれを世に広めるための一冊である。

ユダヤ商人の商法は、まず「七八対二二の法則」という大法則によって成り立っている。これは、人間の力ではいかんともしがたい大自然の宇宙の法則とイコールだ。

例として、正方形とその正方形に内接する円の関係がある。面積が一〇〇の正方形の場合、その正方形に内接する円の面積は七八・五。厳密にはプラスマイナス一の誤差があるとして、円の面積を約七八とすると、正方形の残りの面積は約二二だ。

それ以外にも、空気中の成分が窒素七八に対して酸素等が二二の割合であることはよく知られている。また人間の体も、水分が七八、その他の物質が約二二だ。

七八対二二は、人間がどうあがいても曲げることはできない、不変真理の比率であることがわかるだろう。ユダヤ商法が、この「七八対二二の法則」の大法則に支えられている限り、決して損をすることはない。

著者自身も、この大法則に則って成功した経験がある。それはデパートでダイヤモンドを売り出す商いで、当初は誰もが懐疑的だった。しかし著者の考えはこうだった。

世の中に出回っている金を一〇〇とすれば、七八を握っているのが金持ちの層であり、この金持ちクラスを相手に商売をすれば儲かるのは明白なのだ。案の定、ダイヤモンドの売上は予想を超え、各所で数億円を上回った。

世界を支配するユダヤ商人


ユダヤ人、と著者がいうのは、ユダヤ民族のことである。彼らは世界中に散らばっており、当然ながらそれぞれの国籍は様々だ。

ただし、世界の全ユダヤ人が集まっても、その人数は一三〇〇万ほどで、東京一都市の総人口とさして変わらないくらいである。

人数は決して多くないのに、歴史上の重大発見であるとか、人類不朽の名作などはユダヤ人の手によるものが多い。ピカソ、ベートーベン、アインシュタイン、マルクス、イエス・キリストなど、こうした人物は皆ユダヤ人である。

それ以上に重大なことは、欧米の名だたる商人の大半が、ユダヤ人であるということだ。貿易商として欧米で商売をしようとすれば、好むと好まざるとにかかわらず、ユダヤ商人を窓口とする以外にない。ユダヤ商人は、世界を支配しているといっても過言ではないのだ。

判断が迅速で的確なユダヤ商人


そんなユダヤ商人の相手をしてまず驚かされるのは、彼らの判断の確かさと速さだ。
ユダヤ商人は世界をまたにかけて飛び回っているから、最低二カ国語はマスターしている。

自国語でものを考えながら、同時に外国語でも考えることができるということは、物事を違った角度から幅広く理解できることにつながる。自国語しかしゃべれない商人よりはるかに的確な判断が下せるようになるわけで、これができるユダヤ商人は、国際商人としては大変強い。

またユダヤ商人の判断が迅速なのは、彼らが暗算の天才であることによるものだ。例えば、日本の工場の係員が、工員の月額給与から一時間当たりの賃金を計算するのにたっぷり二、三分はかかるところ、ユダヤ商人はあっという間に答えを出したりしてしまう。

それどころか二、三分あれば、生産能力や原料費の数字まで入れて、生産物一つあたりの儲けまではじき出してしまうのである。

契約は神様との約束

ユダヤ商人は、いったん契約したことは何があっても破らない。それだけに、契約の相手方にもその履行を厳しく迫り、そこに甘えやあいまいさは許さない。

これは、ユダヤ人が信奉するユダヤ教が、「契約の宗教」ともいわれるところに象徴されている。ユダヤ教の教典、旧約聖書が「神とイスラエルの民の契約の書」とされているとおり、人間が存在するのは神と存在の契約をしたためであると彼らは信じている。

神様と交わした契約を破るなどもってのほかであるし、それは人間同士の契約であっても同様なのだ。

だからこそ、ユダヤ商人にとって「債務不履行」という言葉は存在しない。債務不履行が起こったような場合には相手の責任を厳しく追及し、容赦なく損害賠償要求をつきつける。日本人はユダヤ人からなかなか信用してもらえないが、それは契約を守らないからである。

ユダヤ商法のバックボーン


食うために働く

本書ではユダヤ商法のバックボーンとなっている、ユダヤ人の考え方や歴史的背景、教育についても紹介されている。

ユダヤ人が人生の目的を問われたら「おいしいものを心ゆくまで食べること」と必ず答える。ユダヤ人が働くのは食べるためであって、ユダヤ人の最高の楽しみは、タキシードを着て最高級のレストランで贅沢な食事をすることなのだ。

約二〇〇〇年にわたり、迫害され、差別され、しいたげられてきたユダヤ人ではあるが、一方でユダヤ教における選民としての誇りは胸中深く抱き続けた。

そして金融業と商業を武器に世界に君臨する存在となった今、それで得た金力とユダヤ人としての誇りを誇示する絶好の機会が、贅沢な晩餐なのである。 

ユダヤ人は晩餐にたっぷりと時間をかける。五分や一〇分で食事をかきこむようなことは絶対にしない。ユダヤ人はこの幸福を味わうためにお金を稼ぎだすのである。

徹底した金銭教育

世界で商売をするユダヤ人は、小さい子どもの頃から徹底した金銭教育を受けている。その例が、子どものこづかいだ。ユダヤ人の家庭ではだいたい、こづかいは月決めにも週決めにもなっていない。

また、年長者の方が多いという形にもなっていない。こづかいの額は、同一労働同一賃金の原則の元、完全な能力給であり、歩合給なのだ。 

例えば、「庭の芝刈りの手伝いで10ドル」「朝の牛乳を運べば1ドル」といった具合である。

納得するまで質問する

ユダヤ人は、他人種や他民族の生活や心理、歴史に対しても専門家以上の好奇心を示して、その民族の裏側まで見ようとする。

そのためには徹底して学習もしてくるし、わからないことがあればとにかく質問することを厭わない。

これは、ユダヤ人の長年の放浪と迫害の歴史からくる他民族への警戒心であり、自己防衛本能からくる悲しい習性かもしれない。しかしこうした好奇心が、ユダヤ商法の大きなバックボーンとなっていることは間違いない。

ユダヤ人との食事のときには、著者が自分の食事もろくにできないほどの質問攻めにあうという。汚れが目立つのに、なぜ日本のタビの色は白いのか。スプーンのほうが食べやすいのになぜハシを使うのか。ユダヤ人は納得するまで質問する。

そして同様に、彼らは取引の場でも、納得してからでないと取引をしないのである。

儲けはイデオロギーを超越する

ユダヤ人にとって、資本主義や共産主義といったイデオロギーの違いは、どうすれば人間がしあわせになるかという見解の、ほんのちょっとした違いに過ぎない。

キリストもマルクスも同じユダヤ人であるし、どちらも「人を殺せ」などとは言っていないと考えるのだ。

よってユダヤ人は、儲かる相手に対しては、その相手のイデオロギーや国籍は全く無視する。アメリカ系ユダヤ人もソビエト(現・ロシア)系ユダヤ人も、全世界に散らばっているユダヤ人同士で、常に緊密な連絡を取り合っている。

そうしてアメリカ系ユダヤ人が、中立国スイスのユダヤ人を介して、ソビエト系ユダヤ人と自由に貿易するようなことまでも、当たり前のように行うのだ。

ユダヤ商法とハンバーガー


天下の公道を活用する

最後に、著者の功績として良く知られている、日本マクドナルドの成功過程と、それから広がるユダヤ商法について触れていく。

著者とアメリカ最大のハンバーガー・チェーンのマクドナルドが五〇対五〇で出資して設立されたのが、「日本マクドナルド社」だ。著者が取締役社長に就任し、昭和四六年七月、その第一号店が銀座三越の一階に開店した。 

当初の計算では、売り上げ予測は三越側の一日一五万円に対し、著者は三〇万円。ところがフタをあけてみれば、売上は連日一日一〇〇万円だった。

キャッシャーも、製氷機械も、シェークマシンも、機械の能力の限界を超えて稼働したために壊れてしまうほどの繁盛だった。 

一方で店内の広さは五〇平方メートルしかなく、これだけ繁盛してしまうと、売ることはできても全員に店内で食事をしてもらうことは不可能だ。しかし場所は銀座三越で、目の前を国道一号線が走っている。

ハンバーガーを片手に三越からあふれ出た人たちは、この公道でハンバーガーを食べた。とくに日曜日には歩行者天国となるので、さながら公道がマクドナルドのレストランに一変したかのようだった。

日本一地価の高い銀座の広い土地を、一銭の権利金も払わずに自分の店舗として活用してしまえるわけで、著者は踊り出したいほどであったという。

既成概念を吹っ飛ばす

ただ、マクドナルドの開店に当たっては、懸念や引きとめの声を、実に様々な人から聞いたことも確かだった。「米と魚を食べる日本人に、パンと肉のハンバーガーなんか売れやしない」といったことなどである。

しかし米の消費量が年々減少していることは、数字上に見えていた。時代は変わりつつあり、日本人にもパンと肉のハンバーガーは必ず売れるという自信はあったし、実際に成功したのだから、そこは先見の明があったといえる。

また同様に、三越にも先見の明があったということだ。海のものとも山のものとも分からないハンバーガーに対して、伝統あるデパートの一角を貸したことは、歴史に残る大英断といえる。  

こうした先見の明は、既成概念にとらわれすぎている人には、絶対に備わっていないものだ。よって、脳みその中は常に柔らかくして、今持っている既成概念は吹っ飛ばしてしまうことが大切だ。

日本で育つユダヤ商人

マクドナルドは世界に二〇〇〇軒のチェーン店を持っている。
チェーン店の大半は、マクドナルド本社が買い取った土地建物の内部を改造し、さらに機械を据えつけた上で、それを一万ドル(約三〇〇万円)の保証金をおさめた人に、二割の利益を保証して営業させている店舗である。

日本全国にマクドナルドのチェーンを広げていくにあたっても、この方法にするつもりだという。

ただし保証金は形式的に一〇万円とし、脱サラリーマンを真剣に考えている人を、一〇〇人程採用する構想も練っている。

その人たちにユダヤ商法と巨億の財産を保証して、国際的視野をもった新しい「ユダヤ商人」を生み出していくのもよいだろうと、著者は考える。

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一瞬で人生を変えるお金の秘密 happy money 


お金にはHappy Money とUnhappy Moneyの2種類がある。愛情や感謝の気持ち、幸せな気分で支払ったお金は、「笑っている」。一方、人が罪悪感や怒り、悲しみなどを感じながら支払ったお金は「泣いている」そうだ。あなたの財布には、どんなお金が入っているだろうか。

あなたが自分の仕事や人生に満足しているなら、あなたのお金も笑顔になっているはずだ。逆に、仕事を嫌々している、人生に対して何かしら不満を抱えているという状況ならば、あなたのお金も泣いているか、怒っているだろう。

もしも後者なら、自分に問いかけてみる必要がある。「自分の人生で、いったい、何が問題なのだろう?」

一方で、お金は「喜び」や「感謝の気持ち」「幸福」をもたらす可能性がある。とりわけ、お金を受け取ったときと同じポジティブなエネルギーを添えて、お金を惜しみなく与えたときに、同じものが相手にも自分にも、もたらされるのである。

マネーゲームが一筋縄でいかないワケ


現実社会のマネーゲームは、一筋縄ではいかない。30代、40代のときに大金を手にしても、その後取り返しのつかないことが起きる可能性はある。

大金を稼いだ有名人が多額の借金を抱えて亡くなることも珍しくない。
こうしたことが起きるのは、お金のルールが絶えず変化するためだ。

世間で投資すべき対象とされるものも、不動産、金、仮想通貨と変遷を遂げている。だがお金に関して、いざというとき人々がコントロールできるのは、「お金に対する感情」である。

欠乏の神話


世界中の多くの人が、「ゼロサムゲームのせいで自分が公平に扱われていない」と感じている。「誰かが何かを手にすれば、私たちはそれを手にできない」。

つまり、たくさんお金をもっている人が必然的に自分たちのお金を奪っている、と思い込んでいるのだ。この状態では、お金に対するネガティブな感情が生じる。

自分たちがほしいときにほしいものを手に入れておかないと、誰かにとられてしまう――。そんな「欠乏意識」に駆り立てられていると、たとえほしいものを獲得しても、満足することなどできない。この欠乏こそが、嫉妬や不安、欲、偏見を生み出す根源となっているのだ。

お金にまつわる心の古傷を探し出す

欠乏の神話から解き放たれ、お金をお金として見られるようになるには、自分がお金に対してどんな観念をもっているかを明らかにしなければならない。

なぜお金をほしいと思うのか、その心の働きを客観視する。そうすれば、自分が必要としているものと今まで以上にしっかりと関われるようになり、お金にまつわるストレスを感じなくなるだろう。

さらに掘り下げると、自分がお金に関してどんな傷を抱えているのか。その傷ができた経緯は何か。それが日常にどんな影響を及ぼしているのか。 

こうしたことを明らかにし、傷を癒していくと、「お金はよいことに使うもの」「自由に授受できるもの」というように、お金の捉え方が変わっていく。

このように、内面の変化が人生に反映され、経済状態が確実に改善するのだ。
お金は、置かれた環境や誰の手にあるかによって、性格を変える。もしあなたが幸せなら、お金はさらに幸せのエネルギーをもたらしてくれるだろう。

禅の心で幸せとお金に向き合う


では禅の心で幸せに向き合えばどうなるのか。すると、どれくらい価値があるか、何をもっているかといった観点ではなく、「何者なのか」という観点から、自分について考えることになる。

自分とは「人間」であり、その目的は「生きる」ことにある。つまり「今この瞬間に存在している」ということが大事なのだ。

お金に対してストレスや不安、心細さを感じるのは、過去に自ら犯した間違いや受けた危害のことを根にもち、未来に対して心配してしまうからだ。

こうした過去や未来に対するネガティブな考え方にとらわれないようにすれば、今この瞬間の幸せを享受できる。

著者がさまざまな人たちに取材するなかで導き出した結論がある。それは、「お金で幸せは買えない。しかし、お金があれば、間違いなく、人生におけるある種の問題を取り除いてはくれる」ということだ。

不安やストレスが少なければ少ないほど、今この瞬間に「存在する」ための時間が増えるのである。 

ただし、人々の幸せのレベルは、収入が上がるにつれて上昇するものの、年収約800万円が上限だという。それを超えると、収入が増えても幸せのレベルはあまり上がらない。つまり、大金を手にしたからといって、幸せが保証されるわけではないのである。

愛か怖れか


さほど大金がなくてもお金との良好な関係を築けている人は、お金を怖れていない。怖れの反対は、愛である。愛とは相手のことを妄信するのではない。相手を無条件に受け入れ、「きっと、幸せを見出すことができる」という信頼を抱くことを意味する。

お金に愛情をもって暮らしている人は、愛着を抱ける仕事をしながら、十分なお金を稼いでいる。彼らの口ぐせはこうだ。「必要なものは全部あります」。お金持ちでなくても、本当に必要なものはすべて揃っていると感じているのだ。

お金のIQとお金のEQ

2つのお金の知恵


著者のメンターによると、お金の知恵は「お金のIQ」と「お金のEQ」から成るという。お金のIQ(知能指数)とは、経済に関する知識のことで、どのようにしてお金を稼ぎ、使い、守り、増やすかを理解することである。

これに対し、お金のEQ(心の知能指数)とは、自分のお金に対する感情に対処するために必要な感性を意味する。
幸せな小金持ちになるには、健全なお金のIQとお金のEQ両方が求められる。

お金のIQ


お金のIQは次のような要素から構成される。1つ目は、「お金を稼ぐ」こと。大好きなことをやり、自分の資質や才能を人と分かち合って、人の役に立つことが重要となる。

2つ目は、「生き金を使う」ことである。自分が幸せだと感じられること、自分のほしいものにお金を意識的に使う。

自分の中の優先事項を評価し、真に楽しめることに心を配れるようになると、お金を賢く使えたと思えるようになる。

3つ目は、「お金を守る」こと。お金を貯め込むこと以上に、お金のトラブルを避けるためにも、オープンで誠実な人間関係を築くことが重要となる。

4つ目は、「お金を増やす」ことである。これは投資などの表面的なテクニックにとどまらない。自分が心から信じる目的を探し、その目的をお金で支援するのである。幸せな小金持ちになるための決め手は、お金の使い方を自分の価値観や信念と合致させることなのだ。

お金のEQ


お金のEQとは、どのようにしてお金を受け取り、楽しみを味わい、自分を信頼し、お金を分かち合うかを考えることである。プレゼントやチャンスを前向きに受け取ることの重要性はいくら強調しても足りない。

また、今、この瞬間に専念し、自分が楽しんでいることに感謝したとき、本当の豊かさを経験できる。これは禅の極意でもある。

くわえて、人生の可能性をフルに活かすには、お金を得る前に自分の能力に自信をもつことが大切である。お金の流れは流動的だと心得て、自信をもって行動しなければならない。

最後に、幸福感を味わっていると、「人生は分かち合うためにあるもの」という点を理解できるようになる。

自分の時間、才能、資質を、より気前よく周囲の人や社会に分かち合うことで、より多くの豊かさが自分のもとへ流れ込んでくる。お金はコミットメントの水脈であり、流れる愛でもある。

お金の設計図は書き直すことができる著者によると、お金のIQよりお金のEQのほうがはるかに重要だという。

なぜなら、お金が絡む失敗の多くは、感情と関係しているためだ。あらゆる感情が自分の行動に影響することを理解し、感情をコントロールできなければ、お金に関して明確で正しい判断を下せない。

そこでおすすめなのは、自分の内なる傾向や性格を知ることだ。そして、自分とお金との関係をどう評価し、どうキャリアを築くかに関して、アドバイスをくれるメンターを探すとよい。 

あなたのお金に対する計画が、幸せと喜びにあふれ、人を助け、成果を生むものならば、あなたはお金持ちになれる。仕事とお金についてどう捉えるかが、お金持ちになれるかどうかを左右するのだ。

よって、自分のお金の人生設計図に何が書かれているかを知り、自分の足を引っ張っている部分があれば、それを書き換えなければならない。お金の設計図はただのイメージ図にすぎないため、書き直すことが可能なのだ。

お金の流れ

Happy Moneyの流れを手に入れる、たった1つのコツ


お金とは、人々のまわりを流れている「エネルギー」である。高エネルギーで流れるお金、つまりHappy Moneyを手にするコツは何か。

それは「あなたには、自分のお金に注入するエネルギーに責任がある」と考え、「心から感謝する」ことだ。これにより、自分発でお金にプラスのエネルギーがチャージされ、Happy Moneyの流れに勢いをつけられる。

たとえば、仕事がうまくいって報酬をもらう際、心からお礼をいって受け取る。同僚やクライアントとともに働けることを誇りに思い、感謝の念を抱く。

理想通りの製品やサービスを見つけて、感謝しながらお金を払う。応援したいスタートアップへ投資をする。こうしたことで、自分と他者の人生の流れがよりよいものになっていく。

お金の幸せな流れをつくるためにできること


Happy Moneyの流れをつくる一歩は、自分の心や情熱など、今あるものを人と分かち合うことにある。

そこでベースとなるのは、お金の流れを信頼すること、すなわち自分の将来を信頼することだ。自分の将来や人生を信頼できなければ、自分がどれだけお金をもっているかに関係なく、不安をなくすことはできない。もし何か行き詰まりを感じているのなら、信頼できる人に助けを求めるとよい。

人の批判を気にせず、「人は善良で助けてくれるもの」だと信じてみよう。
そのうえで、Happy Moneyの流れをつくるのに効果的な方法がある。

具体的には、お金を寄付する、友人に贈り物をする、何かをあげたり給料を従業員に渡したりする際に「プラスα」を提供する、請求された額より多く支払う、お金を使うときには相手の幸せを祈る、すべてのことに感謝する、といった方法だ。

Happy Moneyの流れは誰でもつくり出せる。他者の手助けをすることで、その人とつながっているという意識と幸福感を得ている人もいる。これが幸福の波及効果だ。

私たちがマネーゲームから抜け出すと決心し、もっと今の瞬間に身を入れ、幸せを感じられることを行う。すると、私たちは互いに支え合い、励まし合える環境を生み出せるだろう。ひいてはそれが世界の平和につながっていくはずだ。

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日本のAIビジネス


AIを擬人化することの弊害

今さら聞けないAIのことが全部分かる『いまこそ知りたいAIビジネス』を要約


著者は、日本でAIが知られるようになる前から、グーグル本社で機械学習のシニアストラテジストとして勤務していた。その後シリコンバレーにて、パロアルトインサイトというAIビジネスデザインカンパニーを起業し、経営している。

AIビジネスとは、「AI技術を使って企業の課題を解決する方法を提案し、実装すること」。AIビジネスデザインとは、「経営者や事業担当者とデータサイエンティストの間に立ち、AIビジネスを創造する仕事」を指す。著者はAIビジネスデザイナーとして、50社以上の日本企業に対して、AI技術活用に関するアドバイスや実装、導入を行なってきた。

その中で痛感したのは、日本企業のAIに対する認識不足だ。
AIビジネスに携わる人にとって、AIとは、学問領域の名前や機械学習、ディープラーニングなどの手法の総称を意味する。一方、一般の人の中には、AIをロボット的な何かだと認識している人もいる。

AIによる学習のアウトプットを擬人化する傾向もある。AIが予測した株価を紹介する際には、「予測ちゃん」というキャラが話しているかのような手法が取られる。AIは手法や学問領域の総称でしかないにもかかわらずだ。

この擬人化は、AIビジネスを考えるうえで弊害になりえる。抽象的な概念は抽象的なまま議論しないと、本質を見誤りかねないからだ。

中小企業ほどAI活用が重要になる

AIビジネスは、大企業だけのものではない。むしろ中小企業ほど、AIを導入すれば大きなビジネスインパクトを出せる可能性がある。

著者のもとに、街の歯科技工所と歯科医からAIを導入したいという相談が届いた。その歯科技工所は、歯科技工士が不足する中、AIを使って歯科技工物を機械的に製造したいというアイデアを持っていた。

さらに、歯科技工物をAIで分析し、歯科医院の経営支援やコンサルをしてはどうかとも考えていた。歯科医は、予約システムや受付業務、カルテや薬剤の在庫管理へのAI導入を検討していたという。いずれも、実現可能性の高いアイデアだ。

マッキンゼー・グローバル・インスティチュートの発表によると、AIが不可欠な業種は16パーセント。AIを導入すれば業績が大きく伸びると予想される業種は、全体の69%にも達するという。

AIビジネスの最先端事例

アメリカの通販サイト「スティッチフィックス」


アメリカではすでに、あらゆるシーンでAIが活用されている。そのひとつが、270万人が使うファッション通販サイト「スティッチフィックス(Stich Fix)」だ。

スティッチフィックスの会員になったユーザーは、サイト上で85項目の質問に回答する。体型や予算はもちろんのこと、複数の洋服の写真を見て「大好き」「好き」「嫌いではない」「嫌い」を選択する質問もある。

すると後日、個々のユーザーにおすすめの洋服が5着送られてくる。ユーザーはその5着のうち、好みの服だけを購入し、好みでないものは無料で返却できる。 

サービスの基本料金は月額20ドルだ。1着でも購入すると20ドル割り引かれるため、手数料は実質無料である。

スティッチフィックスの特徴は、あらゆるシーンでAIが活用されていること。そして、AIだけではまかなえない部分に人間のサポートが入っており、AIとスタイリストがそれぞれ得意とする領域で協働していることだ。

実際スティッチフィックスには、75名以上のデータサイエンティストと、約3500名のスタイリストが在籍している。

マッチングを高める仕組み

スティッチフィックスでは、ユーザーに送る服を決定するアルゴリズムにAIが活用されている。

先ほど説明した85項目の質問に加え、そのユーザーのピンタレスト(Pinterest、写真共有Webサービス)のアカウントを参照することによって、AIがユーザーの趣味趣向を分析し、おすすめの服を選んでいるというわけだ。

マッチング精度を高め、送った商品の返却率を下げるために、マッチング精度を上げる工夫がなされている。嗜好傾向が近いユーザーAさんとBさんがいるとする。

この場合、Bさんにおすすめして購入されたスカートは、Aさんも気に入る可能性が高い。その仮説のもと、Aさんにも同じスカートがおすすめされる。

アマゾンにある「これを買った人はこれも買っています」というレコメンド機能にも似た仕組みだ。この手法は、コラボレイティブ・フィルタリング(似たプロフィールの個人同士を比較検証するプロセス)という機械学習の手法である。

驚くべきことに、AIがおすすめした商品が本当に良いのかどうかの最終判断は、スタイリストが行なっているという。

AIは、スタイリストがどの服を採用してどの服を却下したかのデータを蓄積し、さらに学習を繰り返す。こうしてデータを増やすほど、商品とユーザーのマッチングの精度を高められるというわけだ。このプロセスを「フィードバックループ」という。

配送の最適化にも、AIが活用されている。スティッチフィックスの倉庫はアメリカ全土に6カ所ある。

どの倉庫にそのユーザーに適した商品があるのか、その商品がどの場所からどのくらい発注されそうかといった予想データと運賃コストとを掛け合わせ、どの倉庫から発送するのかを決めているという。

AIを導入したい企業がすべきこと

AIの実装にはデータ検証が必須

AIを開発し、実装するためのプロセスは、病院で治療を受けるプロセスと似ている。治療を受けるには、病状の把握と原因の特定、治療法の決定が必要だ。

同様に、AIを実装するには、その企業が保有しているデータ検証が必須である。そのステップなくして課題解決のために最適なAIモデルを考え出すことはできない。

ある企業の失敗談が参考になるだろう。店舗ビジネスを展開しているその企業は、保有している膨大な顧客データをもとに、どの顧客にどのようにアプローチをすれば1人あたりの売り上げ単価と来店頻度を高められるのかを分析したいと考えていた。

AI実装を請け負う企業から提案を受け、発注したが、プロジェクトは1年後に頓挫してしまった。その理由として説明されたのは、「提供された顧客データが、データとして使用できるものではなかったから」。

問題は、データがどのような状態なのか確認もせず、プロジェクトに着手してしまったことだ。この失敗を受け、その企業が「今後もAI導入をしない」という結論に至ってしまうとすれば、非常にもったいないことである。時代に取り残されてしまうのだから。

AI診断を行なえば失敗を避けられる

このような不幸な事例を作り出さないためには、企業が保有する一部のサンプルデータを提供してもらい、分析する必要がある。

そうすれば、企業が抱える課題に対してどのようなアプローチがありえるのかを見きわめられるからだ。著者の会社では、このプロセスを「AI診断」と呼ぶ。手順は次のとおりだ。

(1)サンプルデータに、任意のラベルづけをする。
(2)ラベルづけされたAとBのデータにどのような差があるのかを探す。
(3)その差を今後どのようなAI技術で解析、抽出し、課題解決につなげるかのプランを考える。

参考例として、サブスクリプション型サイトを運営している企業を取り上げる。その企業はサイトの基本的な機能を無料で提供しており、プレミアム機能を使いたいユーザーは月額料金を支払う。

こうしたビジネスモデルでは、有料会員の解約防止が課題となる。
ステップ(1)では、会員のうち、過去30日以内に解約したユーザーをユーザーA、それ以外の既存アクティブユーザーをユーザーBとラベルづけした。

ステップ(2)でデータを解析したところ、クリックや保存などの行動の平均値に関しては、ユーザーAとユーザーBでは差がみられなかった。

その一方で、最初の数日間の行動量に関しては、ユーザーAとユーザーBとの間に何倍もの差があったという。

そこでステップ(3)として、この差をもとに、1カ月以内の解約者、1週間以内の解約者、1日以内の解約者、そして分単位での解約者の特徴を分析した。

すると「数分後にこのユーザーが解約する可能性は何パーセントなのか」を算出するAIモデルを作ることができる。

次の段階は、そのユーザーを解約させないための施策を考えることだ。ポップアップで「こんな機能もあります」と知らせる、営業担当者が電話をかけるなどといった施策が考えられるだろう。
最後にその施策をABテストし、最適な施策に落とし込む。

解決したい課題を見つける方法

「AI導入をしたいが、何から手を付けていいかわからない」企業はどうすればいいか。ある運送会社の事例を取り上げて説明しよう。

その会社ではまず、社内の課題の棚卸しを行なった。出てきた課題は、「本社受付にAIを導入してコストを減らしたい」「トラックの積載量を増やして無駄を減らしたい」「長く勤めてくれる社員を予測して採用したい」などだ。

次に、これらの課題をAIで解決できるのかどうかを見極めた。見極めの基準は2つ。データを採れることと、そのデータに基づいた仮説検証ができることだ。

たとえば「長く勤めてくれる社員をAIに予測させたい」という課題であれば、採用データをもとに「辞めない人材」を予測して採用し、採用した人の勤務期間を検証する必要がある。これには数年単位の時間がかかるだろう。また、離職理由の特定が難しいという課題もある。よって、定量的な検証が必要なAIには向いていないと結論づけられた。

データが揃っており、仮説検証ができそうであれば、課題を解決した場合のビジネスインパクトを検証する。「効率化の大小」と「売上増加の大小」の2軸で見るとよい。

たとえば、受付業務をAIで置き換えたとする。これで削れるコストは、数名分の人件費だけ。一方、2トントラックの積載量を3Dで可視化し、フルに積載して無駄のない配送を実現できれば、大きなコスト削減につながる。
後者のほうがビジネスインパクトは大きいといえる。 

このように、課題を可視化すると、どの分野にAIを導入すべきかがわかりやすくなるはずだ。

一読の薦め
AIが人間の仕事を奪うという「AI脅威論」がまことしやかに囁かれる中、自分の仕事もAIに取って代わられやしないかと不安な人もい
る。

※当記事は株式会社フライヤーから提供されています。
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著者紹介
石角 友愛(イシズミ トモエ)
パロアルトインサイトCEO/AIビジネスデザイナー
2010年にハーバードビジネススクールでMBAを取得したのち、シリコンバレーのグーグル本社で多数のAIプロジェクトをシニアストラテジストとしてリード。その後HRテックや流通AIベンチャーを経てパロアルトインサイトをシリコンバレーで起業。データサイエンティストのネットワークを構築し、日本企業に対して最新のAI戦略提案からAI開発まで一貫したAI支援を提供。AI人材育成のためのコンテンツ開発なども手がける。シリコンバレー在住。
著書に『才能の見つけ方 天才の育て方』(文藝春秋)、『私が白熱教室で学んだこと』(CCCメディアハウス)など多数。
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本書では冒頭に13問の3択が用意されている。そのひとつを紹介しよう。
質問3 世界の人口のうち、極度の貧困にある人の割合は、過去20年でどう変わったでしょう?

A 約2倍になった
B あまり変わっていない
C 半分になった
正解はCだ。ところが正しく答えられたのは世界平均で7%だけである(2017年14カ国・1万2000人を対象に行なわれたオンライン調査による)。これは無知のせいだろうか?

著者らは、さまざまな国のさまざまな分野で活躍する人々に一連の質問をしてきたが、いずれも正当率は低かった。学歴の高い人や、国際問題に興味がある人たちの場合も同様だった。

そもそも無知が原因であれば、ランダムに答えた場合の(あるいはチンパンジーに選ばせた場合の)33%に近づくはずである。何も知らないというよりは、みなが同じ勘違いをしているのではないかと思われた。実際に回答の傾向をみると、誤った2つの選択肢のなかでも、より極端なものが選ばれることがわかった。

ドラマチックな物語を求める本能

私たちは次のような考え方に染まっていないだろうか。
「世界では戦争、暴力、自然災害、人災、腐敗が絶えず、どんどん物騒になっている」

「金持ちはよりいっそう金持ちになり、貧乏人はよりいっそう貧乏になり、貧困は増え続ける一方だ」

「何もしなければ天然資源ももうすぐ尽きてしまう」

いかにもメディアでよく聞く話だし、こうした考え方は人々に染みついているが、著者らは「ドラマチックすぎる世界の見方」と呼んでいる。精神衛生上良くないうえ、そもそも正しくない考え方だ。

その原因は、私たちの脳にある。遠い祖先の時代から長年にわたってサバイバルするために必要だった本能――差し迫った危険からとっさに逃れるための「瞬時に何かを判断する本能」、悪い予兆を聞き逃すまいとする「ドラマチックな物語を求める本能」――が、世界についてのねじれた見方を生んでいるのである。 

世界はこうしたドラマチックすぎる見方に反して、基本的にどんどん良くなってきている。本書で紹介する「ファクトフルネス」という習慣を毎日の生活に取り入れて訓練を積めば、事実に基づいて世界を解釈できるようになる。

そして判断力が上がり、何を恐れ、何に希望を持てばいいのかも見極められるようになる。 

「世界は分断されている」という思い込み

世界を4つのレベルで考える。
私たちは先進国に住んでおり、それ以外の地域に住む大半の人々は惨めで困窮した生活を送っていると思い込んでいる。

しかし現実はそうではない。著者らは「先進国」「途上国」という旧来の分類に代わって、世界70億の人口を1日あたりの世帯所得をベースに、次の4つのレベルで考えることを提案している。

レベル1 1日2ドル 10億人 移動手段:徒歩
レベル2 1日4ドル 30億人 移動手段:自転車
レベル3 1日16ドル 20億人 移動手段:バイク
レベル4 1日32ドル以上 10億人 移動手段:自動車

読者の大半が属しているのはおそらくレベル4で、10億人がここに分類される。いっぽう私たちがイメージをしているような貧困に悩んでいる人々はレベル1の低所得層で、こちらも世界におよそ10億人いる。  

レベル2以上の中所得の国と高所得の国を合わせると人類の91%になり、そのほとんどはグローバル市場に取り込まれ、徐々に満足のいく暮らしができるようになっている。

また実はレベル1の国でも平均寿命は62歳で、多くの人は食べ物に困らないし、ある程度安全な水道水を飲める。ワクチンを接種している子どもも多く、多くの女の子は小学校を卒業する。  

このように所得の分布をとっても、世界は分断されておらず、連続した地続きなのは明らかだ。しかし人は何事も2つのグループに分けて考えたがる。

世界は分断されているという思い込み、つまり「分断本能」にとらわれており、その結果いわゆる「二項対立」を求めてしまう。

良いか悪いか、正義か悪か、自国か他国か。世界を2つに分けるのはシンプルだし、直観に訴える力がある。これが「世界には分断が存在する」という考え方が根強く残っている理由である。そしてこうした考えが現在の世界の見方に、大きなバイアスをかけている。

分断本能を抑えるファクトフルネス


分断本能から逃れて、現実を正しく見るためには、次の3点に気をつけよう。

(1)「平均の比較」――平均は情報を素早く伝えられる上に、役立つヒントを得られることが多い。

ただしそれを単独で用いた場合、分布が隠れてしまうという欠点を持つ。たとえば数学テストの男女の平均点を出すと、「527点対496点」という数字が出てくる。

このように異なる独立した数字は、分断を際立たせる。しかし得点分布にしてみると、2つのグループはほとんど重なり合っていることがわかる。違いは分布のわずかなピークのずれに過ぎない。

(2)「極端な数字の比較」――世界で最も格差が大きい国といわれるブラジル。そこでは最も裕福な10%の人たちが、国全体の所得の41%を懐に入れている。

メディアはこうした数字を、サンパウロのスラム街の風景にオーバーラップさせがちである。しかし実際のブラジル国民の大半は極度の貧困を抜け出し、レベル3の生活を送っている。バイクや眼鏡を買い、貯金をすれば子供を高校に行かせることのできる世帯だ。

社会には「分断」といえるほどのものは見当たらない。ほとんどの人は真ん中にいる。

(3)「上からの景色」――この本の多くの読者のように、レベル4の生活を送っている人には、レベル3、2、1はみな同じくらい貧しいように見えてしまう。
 
しかし「下界」に住む人にとって、レベル1~3の違いは非常に大きい。
ドラマチックすぎる「分断された」世界の見方の代わりに、4つのレベルで考える。これが本書が伝授する「事実に基づいた思考法」の1つめにして最も大事なポイントだ。

「世界はどんどん悪くなっている」という思い込み

貧困は少なくなり、寿命は延びた
次のうち、あなたの考えに最も近い選択肢を選んでほしい。

A 世界はどんどん良くなっている。
B 世界はどんどん悪くなっている。
C 世界は良くなっても、悪くなってもいない。

世界30カ国の調査からは、世界の大半の人は、「世界はどんどん悪くなっている」と考えていることがわかった。だが実際には、数えきれないほどの「小さな進歩」の繰り返しが世界を変え、数々の奇跡を起こしてきたという事実がある。

極度の貧困の中で暮らす人々(レベル1に暮らし、1日2ドル以下で生活をする人々)の割合は、1997年には世界の人口の29%を占めていたが、2017年には9%まで下がった。いま世界の大部分は真ん中のレベル、つまりレベル2と3に暮らしている。

これは1950年代の西ヨーロッパや北アメリカと同程度の生活水準だ。
もうひとつ世界の平均寿命を見てみよう。

1973年には約60歳だったが、現在では約70歳になった。これは高所得国だけの数字ではない。わずか40年のあいだに、世界全体で10歳も寿命が伸びたのである。

このほかにも、世界がどんどん良くなっていることを示す指標には事欠かない。それにもかかわらず、人々は「世界はどんどん悪くなっている」という思い込みからなかなか抜け出せない。その原因は私たちの「ネガティブ本能」にある。


ネガティブ本能を抑えるファクトフルネス


ネガティブ本能にからめとられている私たちは、どうすれば物事が良くなっていることに気づけるのだろうか。

「悪い」と「良くなっている」は両立する――世界は、保育器で育つ早産児のようなものだ。保育器に入ってから1週間経つ頃には、赤ちゃんの体調はだいぶ回復し、良くなっている。しかし注意深く見守り、依然としてケアをする必要がある。

これと同じように、「世界は良くなっている」といっても、万事オーライというわけではない。頭の中で「悪い」と「良くなっている」という2つの考え方を同時に持つように心がけよう。

また悪いニュースのほうが広まりやすいのもある。メディアや活動家は、人々のネガティブ本能に訴えかけて利益を得ようとする。いくら良心的な報道機関であっても、中立性を保ってドラマチックでない世界の姿を伝えるのは難しいことだ。

こうして良い変化は、私たちの耳に入ってこない。いっぽうで統計を見れば、良い変化がいたるところで起こっていることに気づくだろう。自分たちで探すしかない。少なくとも「悪いニュースのほうが広まりやすい」と心得ておけば、毎日ニュースを見るたびに絶望しないですむ。

「なにひとつとして世界は良くなっていない」と考える人は、次第に「何をやっても無駄だ」と考えるようになる。

そして世界を良くする施策に対しても否定的になってしまう。なかには過激派になり、まったく生産的でない極端な手段を支持する人も出てくるだろう。
ネガティブ本能がもたらす悪影響のうち、最悪なのは希望を失うことなのだ。

グローバルなリスク

もちろん著者らは、「世界はなにもかもがうまくいっていて問題はひとつもない」と言っているわけではない。

実際に起きる可能性が高いリスクとして、感染症の世界的な流行、金融危機、世界大戦、地球温暖化、そして極度の貧困の5つを挙げている。

極度の貧困は、目の前にある現実である。レベル1にいる10億人が、人間らしく暮らすために必要なものはわかっている。

平和、学校教育、すべての人への基本的な保険医療、電気、清潔な水、トイレ、避妊具、そして市場経済に参加するための小口信用(マイクロクレジット)だ。

極度の貧困にある限り、大家族は続き、家族の頭数は増え続ける。早く動けば動くだけ、問題が小さいうちに抑えられる。

最後に世界の暗証番号を紹介したい。世界の人口を「1・1・1・4」と覚えておくのだ。これはアメリカ大陸に10億人、ヨーロッパ大陸に10億人、アフリカ大陸に10億人、そしてアジア大陸に40億人が暮らしていることを表している。
このイメージを持つだけでも、世界についての正しい理解に一歩近づけるだろう。

《本の要約サイトflier フライヤー》は、話題の書籍や名著を1冊10分にまとめた要約が読めるサービスです。経営者や大学教授などの著名人・専門家などが「ビジネスパーソンがいま読むべき本」を一冊一冊厳選し、経営コンサルタントなどのプロフェッショナルのライターが要約を作成しているので内容の信頼性も安心。無料ユーザー登録をすれば、20冊分の要約を読むことができます。


著者
樺沢 紫苑(かばさわ しおん)
精神科医、作家
1965年、札幌生まれ。1991年、札幌医科大学医学部卒。2004年からシカゴのイリノイ大学に3年間留学。帰国後、樺沢心理学研究所を設立。 
SNS、メールマガジン、YouTubeなどで累計40万人以上に、精神医学や心理学、脳科学の知識・情報をわかりやすく伝え、「日本一、情報発信する医師」として活動している。
月に20冊以上の読書を30年以上継続している読書家。そのユニークな読書術を紹介した『読んだら忘れない読書術』(サンマーク出版)は、15万部のベストセラーに。
その他、『いい緊張は能力を2倍にする』(文響社)、『脳のパフォーマンスを最大まで引き出す 神・時間術』(大和書房)など、28冊の著書がある。 
公式ブログ http://kabasawa3.com/blog/

「月3冊読書をする人」と「月10冊読書をする人」では、どちらが成長するだろうか? 「読めば読むほど知識がつき、成長できる」と考えている人がほとんどかもしれない。

だがここで重要なのはインプットの量ではなく、アウトプットの量である。
たとえば、「月3冊読んで3冊アウトプットする人」と「月10冊読んで1冊もアウトプットしない人」ではどちらが成長するだろうか? 間違いなくアウトプット量が多い、前者である。

いくらインプットしても、アウトプットしなければ記憶として定着することはない。
本棚にある本を1冊取り出し、その内容を5分で説明してみよう。

できるだろうか? 説明できたなら、その本の内容が身についているということ。もし説明できないとすれば、内容を覚えておらず、何の役にも立っていないということだ。

インプットはただの「自己満足」にすぎない。「自己成長」はアウトプットの量にこそ比例する。 

アウトプットの法則(1)情報を何度も使う

ここからは、アウトプットの4つの基本法則を紹介しよう。

1つ目は、「2週間に3回使った情報は長期記憶される」である。インプットした情報は、何度も使わないとすぐに忘れてしまう。

脳に入力された情報は、「海馬」に仮保存される。仮保存される期間は2~4週間だ。その間何度も使われた情報は、「重要な情報」と判断され、「側頭葉」の長期記憶に移動する。

側頭葉に記憶された情報は、忘れにくくなる。コンビニでお金をレジに仮保管しておき、お金が貯まったら金庫に移すことと似ている。

情報の入力から2週間で3回以上アウトプットすると、長期記憶として残りやすくなる。2週間の間にその情報を話したり聞いたりしよう。

アウトプットの法則(2)成長の螺旋階段
アウトプットの基本法則2は、「成長の螺旋階段」である。これは、自己成長におけるインプットとアウトプットの関係を表現した言葉だ。

成長するためには、インプットとアウトプットをどんどん繰り返す必要がある。だが、インプットとアウトプットは、同じ場所をぐるぐる回っているわけではない。インプットとアウトプットをセットで行うことにより、螺旋階段を上るように少しずつ成長していく。

作家の立花隆氏や脳科学者の茂木健一郎氏も、インプットとアウトプットのサイクルを回すことの重要性に言及している。自己成長のためには、このサイクルがとにかく重要だ。

アウトプットの法則(3)黄金比は3:7


アウトプットの基本法則3は、「インプットとアウトプットの黄金比は3:7」である。この比率でインプットとアウトプットを行うと最も効率的だということがわかっている。

ある研究において、大学生を対象に、勉強時間のうち「インプット」(教科書を読む)と「アウトプット」(問題を解く)の時間配分を調査した。その結果、インプット対アウトプットの平均的な比率は7対3だった。

著者がセミナー参加者に同様の調査をしても、同じく7対3が平均であった。
コロンビア大学の心理学者アーサー・ゲイツ博士の実験を見てみよう。

100人以上の子どもたちに、人名図鑑に書かれた人物プロフィールを覚えて暗唱させた実験だ。覚える時間(インプット時間)と練習する時間(アウトプット時間)の割合を変え、最も高い結果を出したグループを調べた。

最も高い結果を出したのは、インプットとアウトプットが3対7だったグループだ。これがインプットとアウトプットの黄金比だといえよう。

思うように成長しないのは、インプットが過剰になり、アウトプットが不足しているからだ。黄金比を意識し、アウトプットを増やそう。

アウトプットの法則(4)フィードバックする
アウトプットの基本法則4は、「アウトプットの結果を見直し、次にいかす」である。

インプットとアウトプットのサイクルを回すにあたり、絶対に欠かせないプロセスがある。

それは「フィードバック」だ。これは、アウトプットの結果を評価し、その結果を踏まえて次のインプットに修正を加えるという作業である。見直しや反省、改善、方向修正、微調整、原因究明などが該当する。

失敗した場合にはその原因を追究し、対策を講じよう。成功したときには、その理由を考えてさらなる改善を求める。そうすれば必ず成長がみられるというわけだ。せっかくのアウトプットも、やりっぱなしでは成長につながらない。

【必読ポイント!】 3つのアウトプット:話す、書く、行動する 話す



アウトプットが苦手な人は、まずは「話す」ことから始めよう。話すことは、最も簡単なアウトプットだ。読んだこと、聞いたこと、自分が体験したことについて、第三者に話してみよう。

昨日読んだ本の感想を家族や友人、後輩に話すだけでいい。そうすれば、あなたの考えや思考、想いなどが言語化され、脳は活性化し、記憶の増強や定着に大きく貢献する。

感想を話すときのコツは、「自分の意見」「自分の気付き」をひとつでも盛り込むことだ。たとえば「話題のラーメン店に行きました!」というコメントに加え、それがどんな味で、おいしいのかおいしくないのかを話すようにしよう。そうすればあなたの話に価値が生まれる。

また「話す」とき、ポジティブな言葉を増やすことを意識しておきたい。ポジティブ心理学の研究によると、ポジティブな言葉を増やせば仕事も人生も結婚生活もすべてうまくいくことが判明しているからだ。

ノースカロライナ大学の研究では、仕事の成功や良好な人間関係のためには、ポジティブな言葉がネガティブな言葉の3倍以上必要であるということがわかっている。

書く

「話す」ことに比べて「書く」ことのほうが、圧倒的に記憶に残り自己成長を促す。なぜなら、書くことで、脳幹網様体賦活系(RAS/Reticular Activating System)が刺激されるからだ。

RASとは、脳幹から大脳全体に向かう神経の束、つまり神経のネットワークであり、「注意の司令塔」という別名をもっている。

RASが刺激されると、大脳皮質全体に「目覚めよ! 注意せよ! 細かいところまで見逃すな!」という信号が送られる。すると脳は、集中力を高め、積極的に情報を収集するというわけだ。

検索エンジンにキーワードを入力するようなものだと理解すればいいだろう。
書くことは、RASを最も簡単に刺激する方法だ。書くことによって脳を活性化させ、記憶力や学習能力を高めることができる。

なお同じ「書く」でも、ノートパソコンを使わず、手で書くことをおすすめする。そのほうがより長く記憶が定着し、新しいアイデアを思い付きやすいことが明らかになっているからだ。

行動する

インプットは「読む」と「聞く」、アウトプットは「話す」と「聞く」。これらに加えて重要なのが、「行動する」という要素だ。本書において「行動する」は、「話す」「書く」以外のすべてのアウトプットを指す。

著者は続けることが得意で、メルマガを13年間毎日発行、Facebookを8年間毎日更新、年2冊以上の出版を10年連続など、さまざまなことを継続している。それらを続けてきたかげには、5つの極意があったという。

1つ目が、「今日やる」ことだけを考えるということだ。たとえば「今日はスポーツジムに行きたくない」と思う日があったとする。

そんなときには、「行くだけ行こう」「5分だけやろう」と考えてジムに行ってしまえば、30分、1時間と時間が過ぎていくだろう。続けようと思えば思うほどブレーキがかかるので、「今日」「今」やることだけを考えよう。

2つ目が、楽しみながら実行することだ。つらいことを続けることは不可能なので、継続したいことの中に楽しみを見つけよう。

3つ目が、目標を細分化することだ。ダイエットをしたいなら、「10キロダイエットする!」という目標を細分化し、「1カ月で1キロ痩せる!」という目標を立てよう。

「ちょい難」課題に挑むとき、ドーパミンが最大で分泌される。進捗や達成度が管理しやすくなり、モチベーションアップにつながるというメリットもある。

4つ目が、結果を記録することだ。目標達成までの進捗を記録することで、ドーパミンが出やすくなり、モチベーションが上がる。

5つ目が、結果が出たらご褒美をあげることだ。目標達成時にご褒美がもらえると、さらにドーパミンが分泌される。著者は、本の1章を書いたときには少し高級なウイスキーを飲む、本を1冊書き上げたら海外旅行に行くなどのご褒美を設定している。

アウトプット力を高めるトレーニング法

日記を書く



本書では、日々の生活のなかでアウトプット力を高める7つのトレーニング法が紹介される。要約では、そのうち2つを取り上げる。

1つ目は、「日記を書く」である。これは初心者におすすめしたい。なぜなら、「書くことがない」という人であっても、1日を振り返れば何かしらのネタを見つけられるはずだからだ。

日記を書くことには、5つのメリットがある。それは、「アウトプット能力、書く能力が高まる」「自己洞察力、内省能力、レジリエンスが高まる」「『楽しい』を発見する能力が高まる」「ストレスが発散される」「幸せになる」だ。

アメリカのブリガムヤング大学の研究によると、日記にポジティブなことを書いた人は、その日の出来事を書くだけの人に比べて幸福度と生活に対する満足度が高かったという。

さらにその内容を誰かにシェアすると、彼らの幸福度と満足度が2~3倍に向上することもわかっている。

著者がすすめるのは、「ポジティブ日記」だ。その日にあったポジティブな出来事、楽しい出来事、うれしい出来事などを3つ書こう。最初は箇条書きでもいい。慣れてきたら文量を増やし、数行ずつ書くことをめざす。

読書感想を書く

もう1つは、「読書感想を書く」だ。これは、ビジネススキルを伸ばしたい人におすすめのトレーニング法である。

読書感想を記すことのメリットは7つ。「本の内容が定着する」「本の内容を深く理解できる」「本の内容が整理される」「文章力がアップする」「思考力がアップする」「自己洞察が進む」「飛躍的に自己成長できる」である。

読書感想のテンプレートは、「ビフォー」+「気づき」+「TO DO」だ。「この本を読む前の私は〇〇でした」+「この本を読んで私は、○○について気づきました」+「今後、○○を実行していこうと思います」の3行で構成をまとめ、それに肉付けするとよい。
このテンプレートを使えば、10分で論旨が明解な読書感想を書くことができるはずだ。

一読のすすめ

要約で取り上げた内容の他にも、本書には「効果的なフィードバックの4つの方法」「15人と濃い関係をつくる」「笑顔の8つの効果」など、非常に興味深い内容がまとまっている。
アウトプットの質量をアップさせ、自己成長へつなげるための必読の書といえるだろう。

《本の要約サイトflier フライヤー》は、話題の書籍や名著を1冊10分にまとめた要約が読めるサービスです。経営者や大学教授などの著名人・専門家などが「ビジネスパーソンがいま読むべき本」を一冊一冊厳選し、経営コンサルタントなどのプロフェッショナルのライターが要約を作成しているので内容の信頼性も安心。無料ユーザー登録をすれば、20冊分の要約を読むことができます。

10分で読める「人生の勝算」

人は何にお金を払うのか?


弾き語りから生まれたビジネス戦略

著者は8歳の頃に両親を失い、いくつもの逆境を経験した。中でも、お金の不自由さは真っ先に払拭したいコンプレックスだったという。

当時小学生だった彼がお金を稼ぐために選んだのは、アコースティックギターによる路上での弾き語りだ。この経験こそが、後に事業を立ち上げる際の原点となる。

しかし、弾き語りを始めてすぐに壁にぶつかった。まず、行き交う人が立ち止まってくれない。歌がもっと上手になればいいのか、あるいは演奏技術を高めるべきか。そこで著者は、冷静にお客さんの立場になって考えた。

「自分なら立ち止まるだろうか」。みすぼらしい感じの小学生の路上演奏なら、答えがNOなのは明らかだった。

著者は、演奏する曲をオリジナル曲からカバー曲へ変更した。提供するコンテンツを「未知から既知」にすることで、人々により大きな影響を与えられる、という仮説のもとである。結果は上々、立ち止まる人の数は徐々に増えていった。

しかし、すぐに収入という、第二の壁が目の前に立ちはだかった。音楽で食べることが最大の目的にもかかわらず、1ヶ月500円の売上ではあまりにも少ない。

そこで、著者はセレブのイメージがある港区白金へと、場所を変えた。しかし、港区白金では、当時流行っていたカバー曲を歌っても道行く人は足を止めてくれない。

今度は語り継がれていた名曲を演奏すると、街行く女性たちの興味をひくことができた。そうやって工夫を重ねるうちに、半年後のギターケースには、多いときには月10万円ほどのお金が入るようになっていた。

「濃い常連客」を獲得する3つのステップ

半年間の試行錯誤の末、お金を稼ぐために最も大切なことは「濃い常連客」を獲得することだと著者は学んだ。そのためには次の3つのステップがあるという。

1つ目は、お客さんを、会話のキャッチボールが成立する「コミュニケーション可能範囲」に引き込むことである。通常、人は警戒心を抱いて素通りして行く。

著者の場合は、演奏項目を手書きで書いたボードを掲げることだった。小学生が歌うとは思えない歌謡曲を提示することで、道行く人が立ち止まらずにはいられない仕掛けをつくり、これが奏功した。

続いて2つ目のステップは、お客さんからのリクエストに時間差で応えることだ。リクエストされた歌を無理して歌うのではなく、来週の同じ時間に来てほしいと、次回の約束を取りつけた。

その背景には、歌の上手さとは別の土俵で戦うため、聞いてくれる人とより深く心を通じ合わせるため、という狙いがあった。1週間後に練習を重ねた曲を披露すると、お客さんには、「自分のために1週間も練習してくれた」というストーリーを付加価値として提供できる。 

そして3つ目のステップでは、仲良くなれたお客さんにオリジナル曲を披露する。初めは見向きもされなかったオリジナル曲も、「絆」という価値が加わることで、聴く人にとって特別な曲へと昇華するのである。

音楽を通じてしっかりお金を稼げるようになった経験は、のちに著者がSHOWROOMを立ち上げる際の重要な原体験となった。

あらゆるビジネスの鍵「コミュニティ」

コミュニティは絆の集合体である。コミュニティの形成は今後あらゆるビジネスにおいて無視できないほど、重要な要素になる。なぜなら、コミュニティには現代人が望む価値が詰まっているからだ。

コンテンツの裏側にあるストーリーが、消費においてますます重視されている。さらには、努力次第で誰もが良質なコミュニティを生み出すことができ、それによってビジネスも加速するからである。

より強固なコミュニティを形成するには、余白の存在、常連客の存在、仮想敵、秘密や共通言語、共通目的の5つの要素が欠かせない。これらを兼ね備え、コミュニティとしてうまく機能しているのが、AKBグループである。

「ダンスは下手でも一生懸命頑張る姿」といった不完全性は、余白の存在にあたる。また、まるで運営側にいるかのような熱心さでメンバーを応援する常連客が存在する。

グループ内でのライバルの存在は仮想敵そのものだ。また、ファンは動画配信サービスでメンバーを応援する際、同じアバターをドレスコードとするなどの共通言語をつくりあげている。さらには、支持するメンバーの人気をいかに高めるかというファン同士の横の連帯が強まっていき、「共通目的」を持つようになっている。これらの要素がAKBグループの強さの秘訣となっている。

現代人の多くは、完成されたモノよりも「自分の物語」を好んで消費している。SNSの投稿に「いいね!」をもらって嬉しいと感じる現象は、「自分の物語消費」の典型例だ。

また、「モノ消費からコト消費」といわれるように、人々にとっての価値は自ら参加することや体験することへとシフトしてきている。コミュニティの存在は、現代人が価値を見出すビジネスを作る上で必要不可欠といえるだろう。

天才からのアドバイス

人を好きになる達人に学ぶ

自分ではコントロールできない外部要因によって、挑戦を阻害されたくない。逆境をバネにして高みをめざす。これを自分の人生を賭けて証明したい。

こうした強い信念のもと、著者が新卒で入社したのはUBSという外資系の投資銀行だった。入社の決め手は一人の天才、所属予定の部署のヘッドを務めていた宇田川氏の存在だ。

著者は入社後すぐに戦力になろうとして、宇田川氏に何を勉強すべきかと尋ねた。彼のアドバイスは「とにかく人に好かれろ」だった。

宇田川氏には大勢のファンがいた。それは社内外問わず、本社が入るビルの、全く関係ない受付の人でさえ、「彼のためなら休日出勤もいとわない」と答えたほどだ。

そこまで彼が人々に好かれる理由、それは彼自身が人を好きになる天才だからである。ビジネスの相手はもちろん、店の店員やタクシーの運転手など、誰に対しても彼は最大の好意を持って接していた。

宇田川氏がこうした行動をとるようになった背景には、証券マンとしてトップにのぼりつめたときに感じた、個人の力の限界がある。

より高みへ到達するには、ともに闘うチームが必要となる。そのため、誰からもサポートしてもらえる環境整備と、チームの育成に注力したという。

影響を受けた著者は、無条件で相手を好きになることを心がけている。人に好かれる能力よりも、人を好きになる能力の伸ばすことのほうが重要なのである。

当たり前のことを徹底的にやり切る

宇田川氏のアドバイスは、決して特別なものではない。挨拶をする、誰よりも早く来て勉強する、 思いやりを持って人に接する、 日経新聞は毎日隅々まで読む。
至極当たり前のことを、全力でやり切ることだった。

証券ブローカーにとって日経新聞や会社四季報を毎日読むことは、「当たり前」といってよい。しかし意外にも、この当たり前の基本をやり続けている人は少ない。

だからこそ、それをやり続けるだけで、ライバルと圧倒的な差をつけられる。
この宇田川氏からの教えを忠実に守るべく、著者は入社以来、早朝出社を続けた。出社は朝の4時半~5時頃。
出社してからマーケットが開く9時までの間に新聞を隅々まで読み込み、実務の準備を済ませた。そして、9時からは顧客に電話をひたすらかけ続けた。

著者が自分自身に課していた「当たり前」とは、質を量でカバーすることだ。周りの先輩から変わった奴だと面白がられるほど、持ち得る全てのエネルギーを仕事に注いだ。それが著者の証券マン時代だった。

人生のコンパス

モチベーションの本質

著者はなぜこれほどまでにがむしゃらに、ありったけのエネルギーを仕事に費やせるのだろうか。その答えは「モチベーションがあるから」の一言に尽きる。

仕事の成否は、モチベーションによって大部分が決まる。モチベーションは、高速で目的を達成するための燃料となるからだ。

ただし、モチベーションを維持し続けるには、「見極める」ことが必要である。著者の場合は、SHOWROOMを通じて世の中をもっと楽しいものにしたい、努力が正当に報われる仕組みをつくりたい、という明確なビジョンがある。

その実現に向けてすべてのエネルギーを投入できている。
鉱山で宝石を掘り当てるレースをするとしよう。その場合、まずはどこに宝石がありそうか、情報収集して仮説を立てることにエネルギーを注ぐ。

そして、宝石が埋まっている可能性が高いポイントを探し当てたら、一気に迷わず宝石が見つけるまで掘り続ける。

ほとんどの人は、この「見極める」という作業を蔑ろにし、とりあえず動き出している。動いていると「頑張っている感」も得られるため、しばらくは続けられる。

しかし、疲労もあいまって「このままで大丈夫なのか」と不安になる。そして大抵の場合、挫折する。

モチベーションが高まらない人の多くは、見極めが甘い。それは、自分自身の人生という大きな航海に、方角を示すコンパスも持たずに乗り出していることと同じである。

今もし途方にくれているのなら、いったん引き返してでも人生のコンパスを得るほうが、長い目で見てベストな方法である。

自分の価値観を言語化する

自分は何を幸せと定義し、どの方向に進みたいのか。これを指し示す「人生のコンパス」をもつことは非常に重要だ。そのためには、徹底して自分と向き合い、人生で何を成し遂げたいのかを見極めなければならない。

必要なのは自己分析を重ね、自分の価値観を言語化していくことだ。著者が自分の人生について書き出した自己分析ノートは、積み上げれば30cmに及ぶという。

自分の価値観もわからないまま、例えば給与面や休みの多さといった表層的なことで進路を決めてしまうと、後悔する可能性が高い。

自分の価値観を言語化するには、ロールモデルとなる他人の価値観を聞いて比較対象とするのも有効だ。もし、途中で違うと感じたら、いったん戻って、また別のコンパスと地図を持って航海に出ればよい。

著者は身近な人の死を何度か経験し、人生には終わりがあるということを強烈に意識するようになった。だからこそ、1日の密度をできるだけ濃くしたいと、人一倍願っているのだ。人生のコンパスを持つということは、自分の命を大切にするということでもあるといえる。

一読の薦め
本書には、「人生のコンパス」という言葉が何度も登場する。その意味を深く理解すれば、かけがえのない自分の人生を今一度見つめ直せるだろう。

要約では著者の起業の原体験となる部分を中心に取り上げた。SHOWROOM起業の試行錯誤の日々や、今後の展望については、ぜひ本書をじっくりお読みいただきたい。著者がいかにして人生の勝算が見えるようになったのか。その背中を追うことで、間違いなく全速力で走るエネルギーが湧いてくるはずだ。

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著者紹介
前田 裕二 (まえだ ゆうじ)
SHOWROOM株式会社 代表取締役社長
1987年東京生まれ。2010年に早稲田大学政治経済学部を卒業後、外資系投資銀行に入行。2011年からニューヨークに移り、北米の機関投資家を対象とするエクイティセールス業務に従事。株式市場において数千億~兆円規模の資金を運用するファンドに対してアドバイザリーを行う。その後、0→1の価値創出を志向して起業を検討。事業立ち上げについて、就職活動時に縁があったDeNAのファウンダー南場智子に相談したことをきっかけに、2013年5月にDeNAに入社。同年11月に仮想ライブ空間「SHOWROOM」を立ち上げる。2015年8月に当該事業をスピンオフ、SHOWROOM株式会社を設立。同月末にソニー・ミュージックエンタテインメントからの出資を受け、合弁会社化。現在は、SHOWROOM株式会社 代表取締役社長として、SHOWROOM事業を率いる。
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10分で読める「七つの習慣」

パラダイムと原則

個性主義と人格主義

著者は、最近の50年間に出版された「成功に関する文献」は、社交的なイメージのつくり方やその場しのぎのテクニックばかりを取り上げており、どれも表面的だということに気付いた。そうした考え方を「個性主義」と著者は呼ぶ。

一方で、アメリカ建国から約150年の間で書かれた「成功に関する文献」は、誠意・謙虚・誠実・勇気・忍耐・勤勉・質素・節制・黄金律など、人間の内面にある人格的なことを成功の条件に掲げていた。これを「人格主義」と著者は名づける。

個性主義のアプローチは、あくまでも二次的なものであり、まず行うべきことは、一次的な土台として人格を磨くことである。そうしなければ、長期的な成功は果しえない。

「7つの習慣」は人格を磨くための基本的な原則を具体的なかたちにしたものである。その原則を守ることで、自らが変わり結果を引き寄せていく、という新しいパラダイム(物事の見方)を手に入れることができる。

7つの習慣とは、「依存」から「自立」、「相互依存」へと至る、成長の連続体を導くプロセスでもある。そのプロセスは、「私的成功の習慣(第1~第3の習慣)」、「公的成功の習慣(第4~第6の習慣)」、「再新再生の習慣(第7の習慣)」と大きく3段階に分類することができる。

第1の習慣

主体的である

現代において、人格は、状況や条件付けによって決定されると考えられている。遺伝子によって、育ちや子供時代の体験によって、取り巻く環境の中にいる誰か・何かによってなど、要因とされるものはさまざまだ。

こうした考え方は、刺激/反応理論とも言い換えられる。何らかの刺激によって反応(つまり人格)が決まるという考え方である。

状況や条件付けが人格に影響を与え得ることは筆者も認めている。一方で、筆者が説く重要な指摘は、刺激と反応の間には、「選択の自由」があるという点である。つまり、私達は人間だけに与えられた「想像、良心、意思、自覚」という重要な能力によって、究極的には、何が起ころうとも(刺激)、それが自分に与える影響(反応)を自分自身の中で「選択」することができる。

これらをふまえて、「主体的である」ということを考えてみよう。私達の行動は、自分自身の決定と選択の結果である。

私達は感情を抑えて自らの価値観を優先させることができる。「主体的」とは、自発的に率先して行動することだけを意味するものではなく、人間として、自分で選んだ人生の責任を引き受けることも意味する。

今自分が不幸であると何年も感じていた方にとっては、その状況は自分が選んだことだという考え方は受け入れにくいだろう。

しかし、深く正直に「今日の自分があるのは、過去の選択の結果だ」と言えなければ、「私は他の道を選択する」と言うこともできないのである。

第2の習慣

終わりを思い描くことから始める

一度、自分の葬儀の場をイメージしてみてほしい。そして、弔問客たちに、あなたの人生をどのように語ってほしいか、深く考えてみてほしい。

第2の習慣「終わりを思い描くことから始める」は、人生におけるすべての行動を測る基準とするために、自分の人生の最後を思い描き、それを念頭において今日という一日を始めることである。

自分が目指すもの、大切にしたいものを頭の中に植え付け、そのイメージどおりになるように日々生活していれば、人生が望まない方向に進んでいってしまうことはないはずだ。

この習慣を身につけるには、「個人のミッションステートメント」を書くのが効果的だ。

これは、(1)どのような人間になりたいのか(人格)、(2)何をしたいのか(貢献・功績)、そして(3)それらの土台となる価値観と原則を書く。
注意すべきことは、(3)についてだ。土台となるもの、あなたの中心になるものが、人や物では行き過ぎた依存が生まれ、バランスが崩れてしまうことがある。

あくまで、土台におくべきなのは、公平さ、誠実さなど、あなたが最も大切にしたい価値観だ。

第3の習慣

最優先事項を優先する

第3の習慣とは、第2の習慣、すなわち知的創造で思い描いたビジョンをかたちあるものにするための物的創造の習慣だ。

また、第2の習慣はリーダーシップ(優先すべきことを決める)であり、第3の習慣はマネジメント(優先すべきことを優先して行えるようにすること)だともいえる。

自分を律して実行することがマネジメントには必要である。
成功者たちの共通点は、成功していない人たちの嫌がることを実行に移す習慣を身につけているということである。

彼らも、必ずしも好きでそれをやっているわけではないが、自らの嫌だという感情を目的意識の強さに服従させているのである。

具体的な実践方法としては、物事を重要度(高・低)と緊急度(高・低)にまず分ける。その中で、「重要度が高く、緊急度が低い」事象をいかに行うかが最も重要である。
ここに、あなたの成長に役立つ活動が入ってくる。

そのためには、何を為すかと同様に、何を為さないかを考えることも同じくらい重要である。重要事項に「イエス」と言うためには、他の用事がいかに緊急に見えても、「ノー」と言うことを学ばなければならない。

第4の習慣

Win-Winを考える

1~3章で考察した私的成功の領域を経て、ここからは、人と人とが力を合わせて結果を出す、公的成功の領域に入っていく。

第4~6の習慣を身につけると、相互依存の関係を効果的に築いていけるだろう。
Win-Winとは、すべての人間関係において、必ずお互いの利益になる結果を見つけようとする考え方と姿勢である。Win-Winのパラダイムは、人生を競争の場ではなく、協力の場と捉える。

Win-Winの考え方を発展させたものとして、「Win-Win or No Deal」という考え方もある。これは、どちらかが妥協する案しか解決策がないならば、どちらの方法もとらない、という考え方である。

Win-Winを成り立たせるには、(1)人格、(2)人間関係、(3)協定、(4)システム、(5)プロセス、の5つが必要となる。 

(1)においては、相互が第1~3の習慣で取り上げた人格を築き、「すべての人が満足することができる」という発想をもつことが大切である。

(2)の人間関係とは、相互の「信頼残高」を積み重ねて築き上げるものである。

(3)の協定とは、相互に期待することを明確にする、Win-Win実行のためのものである。

(4)のシステムとは、Win-Winの行動が評価される仕組みである。Win-Winを推奨すると言いながら、報酬の仕組みはWin-Loseになっているケースもある。そうするとWin-Winの関係は成り立たなくなってしまう。

(5)のプロセスは、第5・6の章で取り上げる。Win-Winの本質はそのプロセスと強い相関関係がある。Win-Winのプロセスを踏まずして、Win-Winの結果に到達することはできない。目標がWin-Winならば、手段もWin-Winでなければならない。

第5の習慣

まず理解に徹し、そして理解される

この習慣では、Win-Winの関係を築くために重要になってくる、「まず理解に徹し、そして理解される」ための傾聴方法について学ぶ。

私達はえてして、自分の過去の経験を相手の話に重ね合わせてしまう。そのため、人の話を聞きながら、同意したり反対したり、自分の視点から質問したり、助言したりしがちになる。ただ、そうすると相手は理解されたと感じられなくなってしまい、結果として自分のことが相手に理解されることもない。

これは特に、親子のコミュニケーションなどでよく見られる特徴である。
話の聞き方のレベルで、最高レベルのスキルは、「共感による傾聴」である。これは、相手を理解しようと聴くことであり、相手の身になって聴くことである。

「共感による傾聴」を身につけるためには、下記のステップがある。
第一段階は、「相手の言葉をそのまま繰り返す」ことである。

次の段階は、「相手の言葉を自分の言葉に置き換える」ことである。そして、第三段階は、「相手の気持ちを言葉にする」ことである。

最後の第四段階は、第二段階と第三段階を組み合わせたものとなる。すなわち「相手の言葉を自分の言葉に置き換えると同時に、相手の気持ちも言葉にする」のである。
第四段階の傾聴スキルが身につけば、相手は自分の助言を受け入れやすくなるであろう。

第6の習慣

シナジーを創り出す

シナジーは人生において最も崇高な活動であり、他のすべての習慣の目的とするものである。

シナジーとは、簡単にいえば、全体の合計は個々の部分の総和よりも大きくなるということである。

一プラス一が三にも、それ以上にもなるということだ。各部分の関係自体が一つの「部分」として存在し、触媒の役割を果たす。それが、人に力を与え、人々の力を一つにまとめるうえで、もっとも重要な働きをするのである。

シナジーは、(1)高い「信頼残高」(2)Win-Winを考える姿勢、(3)まず相手を理解しようとする努力、これらがあいまって、シナジーを創り出す理想的な環境ができあがる。

シナジーを創り出すコミュニケーションでは、相互がそれぞれ出す最初の案よりも良い、第3の案を生み出すことができる。

互いの違いを尊重することがシナジーの本質である。そして、逆説的に聞こえるかもしれないが、違いを受け入れ、尊重する為には、お互いが「自立」していることが必須である。

お互いが自立しているからこそ、他者を知的・感情的・心理的に違う存在として尊重できるようになるのだ。

第7の習慣

刃を研ぐ

刃を研ぐとは、再新再生のプロセスである。つまり、他の6つの習慣を果たすために最も重要な「あなた自身」の価値を維持し高めていくための習慣である。具体的には、あなたという人間をつくっている四つの側面(肉体、精神、知性、社会・情緒)の刃を研ぐ。

肉体的側面の刃を研ぐというのは、自分の肉体に効果的に気を配り、大切にすることである。体に良いものを食べ、十分な休養をとってリラックスし、定期的に運動する。

精神的側面は、あなたの核であり、価値観を守り抜こうとする意志である。これは極めて個人的な部分であり、刃を研ぐ方法は、人によって全く異なる。著者の場合は、毎日聖書を読み、祈り、瞑想することが精神の再新再生になっている。

文学や音楽に没入する人もいるだろう。雄大な自然との対話から再新再生を見出す人もいるだろう。

知的側面の刃を研ぐこととは、継続的に学ぶこと、知性を磨き広げていく努力をすることである。日頃から知識を吸収して知性を広げていこうと思ったら、優れた文学を読む習慣を身につける以外に方法はない。

ぜひ一ヶ月に一冊のペースで読書を始めてみてほしい。
社会・情緒的側面の刃は、日々他者と接している中で研ぐことができるため、他の側面に比べそれほど時間はかからないが、訓練は必要となる。第1、第2、第3の習慣を身に付けて自立し、第4、第5、第6の習慣を身に付けて相互依存の状態を創り出すスキルが身に付いていなければならない。

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著者紹介
スティーブン・R・コヴィー
自分の運命を自分で切り開くための奥深いアドバイスをわかりやすく教えることに生涯をささげ、タイム誌が選ぶ世界で最も影響力のあるアメリカ人25人のひとりに選ばれている。国際的に高く評価されるリーターシップ論の権威、家族問題のエキスパート、教育者、組織コンサルタントとして活躍した。 著書『7つの習慣』は全世界で販売部数3,000万部を記録し(40ヶ国語に翻訳)、20世紀に最も影響を与えたビジネス書の1位に輝いている。ほかにも、『原則中心のリーダーシップ』、『7つの習慣 最優先事項』、『第8の習慣』、『子どもたちに「7つの習慣」を』などベストセラー多数。 147の国にサービスを提供する世界屈指のプロフェッショナルサービス企業フランクリン・コヴィー社の共同創設者。 ユタ州立大学商経学部終身教授、リーダーシップ学において同大学の名誉職ジョン・M・ハンツマン・プレジデンシャル・チェアに就く。 妻、家族とともに米国ユタ州で暮らした。2012年7月、79年の生涯を閉じた。

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10分で読めるワークシフト

なにが働き方の未来を変えるのか? ― 未来を形づくる5つの要因

要因1 テクノロジーの進化

いま途方もなく大きな規模の創造的・革新的変化のプロセスが本格的に始まろうとしている。未来になにが待っているかを知るためには向こう数十年を形づくる5つの要因について考える必要がある。

その一つ目の要因がテクノロジーの進化だ。テクノロジーは常に、仕事のあり方と人々の働き方に大きく影響してきた。

特にこの要因については、1テクノロジーが飛躍的に発展しコストが急落すること、2世界の50億人がインターネットで結ばれること、3地球上のいたるところで「クラウド」を利用できるようになること、などといった現象に注目すべきだ。

要因2 グローバル化の進展

二つ目の要因はグローバル化の進展である。グローバル化の流れが本格化しはじめたのは、第二次世界大戦後のことだ。

1944年のブレトンウッズ会議で世界銀行とIMFが設立され、本当の意味での国際貿易の制度が誕生したのである。 

特にこの要因については、124時間・週7日休まないグローバルな世界が出現したこと、2中国・インドの経済発展が目覚ましく人材輩出国としても台頭してきていること、3世界の様々な地域に貧困層が出現すること、などといった現象に注目すべきだ。 

要因3 人口構造の変化と長寿化

社会の人口構造と仕事の世界の間には、切っても切れない結びつきがある。具体的には、世代、出生率、平均寿命の三要素の影響が重要である。

特にこの要因については、1Y世代の影響力が拡大すること、2寿命が長くなり、ベビーブーム世代の一部が貧しい老後を迎えること、3国境を越えた移民が活発になること、といった現象に注目すべきだ。

要因4 社会の変化

私たちの意識がどう変化するかを予測することは困難だが、テクノロジーの進化など表面的な部分こそ変わっても、マズローが示したように人間の根本的な欲求に関する性質はおそらく変わらないだろう。

特にこの要因については、1家族のあり方が変わり規模が小さくなること、2女性の力が強くなること、3バランス重視の生き方を選ぶ男性が増えること、などといった現象に注目すべきだ。 

要因5 エネルギー・環境問題の深刻化

私たちが未来にどういう働き方をするかは、エネルギーをどの程度利用できるか、そしてエネルギーの利用が環境にどのような影響を及ぼすかという点と密接に結びついている。

エネルギー問題と環境問題は、第一次産業革命以降、悪化し続けてきた。2030年頃までには、エネルギーと気候変動の問題が世界の最重要課題に浮上しているはずだ。

特にこの要因については、1エネルギー価格が上昇すること、2環境上の惨事が原因で住居を追われる人が現れること、3持続可能性を重んじる文化が形成され始めること、といった現象に注目すべきだ。

「漫然と迎える未来」の暗い現実

いつも時間に追われ続ける未来

時刻は午前6時。目覚まし時計の音で目を覚ます直後、寝室の壁に映し出された300件のメッセージが飛び込んでくる。

ほどなく、この日最初のホログラム電話がかかってくる。午前7時、人工知能アシスタントが一日の予定を教えてくれる。あと2時間で世界中の社員を結んだ会議が始まる…

この未来では、すべての活動は細切れになり、世界中の同僚と仕事し、世界中のライバルと競い合う。毎分毎分処理すべき課題がぎっしりと詰まるのだ。この未来は、主に通信端末などのテクノロジーの進化と、24時間休みのないグローバル化が要因となり、描かれるものである。

孤独にさいなまれる未来

朝目を覚ますと、自宅内のオフィスに移動する。インドの医師であるローハンは、中国からの依頼で脳内の出血を止める手術を依頼された。

手術室のカメラが映した立体映像をもとにローハンはロボットを操作する。次はチリのチームとの打ち合わせ…そうこうしているうちに慌ただしい一週間が過ぎた。今週はほとんど自宅の外にでていない。

2025年の世界では、ほかの人と直接対面して接する機会が減る。その結果、気軽な人間関係がもたらす喜びを味わえなくなる。この未来は、主にエネルギー価格の上昇による移動費の上昇、核家族化、離婚の増加など家族のあり方の変化などが要因となり、描かれるものである。

繁栄から締め出される未来

2025年オハイオ州に住むブリアナは近所のハンバーガー店で午後だけアルバイトをしている。

家に帰ると、もっと長く働ける職場を探すのだが、魅力的な仕事は、自分よりも教育レベルが高い中国人やインド人の若者との競争に勝たなくてはならならず、結果は芳しくない。

これまでの世界では、どこで生まれたかによって、ある人が経済的にどのくらい成功できるかは概ね決まっていたが、その状況は2025年には変化しているはずだ。

才能とやる気と人脈が経済的運命の決定要因となり、勝者総取りの社会となる。この未来は、主にテクノロジーによる雇用喪失、中国・インドなどの新興国の台頭などが要因となり、描かれるものである。

「主体的に築く未来」の明るい日々

コ・クリエーションの未来

5つの要因はすべて、暗い未来を生み出す可能性がある半面、明るい未来を生み出す可能性も秘めている。

舞台は2025年ブラジル、朝6時、ミゲルはこれから始まる一日に思いをめぐらせて、期待に胸を膨らませる。新しいアイデアを考え手ごわい問題を解決する仕事がまっている。

ミゲルは都市交通に強い関心があり、仲間たちと一緒にインドの交通の課題に取り組んでいる。ミゲルはイノセンティブを通じて課題を認識し、まず少人数のグループでアイデアの中核を練り上げ、もっと多くの人の参加を呼びかけるマス・イノベーションに取り組んでいる。

2025年、イノベーションはコラボレーション的・ソーシャル的性格が強くなり、多くの人の努力が積み重なって実現するものになる。この未来は、50億人がフェイスブックなどのSNSで結びつくグローバル化、またソーシャルな活動の活発化が要因となり、描かれるものである。

積極的に社会と関わる未来

アメリカの小売企業で働くジョンはバングラデシュのチッタゴン近郊でボランティア活動を行っている。2025年、会社の所属部署の第2オフィスを村に作り、ジョンは家族を連れてやって来た。

ジョンの子供たちはオンライン上でほかの生徒たちと一緒に勉強し、その後は両親と援助活動を手伝っている。ジョンにとっては小売企業の管理職とチッタゴンの援助活動をブレンドすることが人生の重要な一部となっている。

ジョン一家の大きな特徴は、社会活動の比重が高まる結果、仕事、社会奉仕、育児、地域活動など、生活のさまざまな要素のバランスが取れていることだ。

この未来は、ジョンのようなY世代の台頭、バランス重視の生き方を選ぶ男性が増えることが要因となり、描かれるものである。

ミニ起業家が活躍する未来

シュイ・リーはかつて中国で縫い子を雇い自前の刺繍店を開いていたが、2025年の今は自分の店をもっていない。

香港大手リー&フンのパートナーとなったからだ。シュイ・リーは週に2、3着のドレスをつくっている。ドレスの作成は様々な工程があるが、パートナー全員とオンラインで結ばれており、分単位で進捗を確認することができる。

2025年には、世界中で何十億人もの人たちがミニ起業家として働き、ほかのミニ起業家とパートナー関係を結んで、共存するエコシステムを築くようになる。

ミニ起業家たちはたいてい、自分が夢中になれる対象を仕事にしている。この未来は、テクノロジーの進化による生産性の向上、中国の経済成長などが要因となり、描かれる未来である。

働き方を<シフト>する

第一のシフト ゼネラリストから「連続スペシャリスト」へ

明るい未来を切り開くためには、これまでの固定観念、知識、技能、固定パターン、慣習などを根本からシフトする必要があると考えている。

未来の仕事の世界で成功できるかどうかは、その時代に価値を生み出せる知的資本を築けるかどうかだ。とりわけ、広く浅い知識や技能を蓄えるゼネラリストを脱却し、専門技能の連続的習得者への抜本的なシフトが必要だ。

終身雇用の契約が崩れ始めたいま、ゼネラリストがキャリアの途中で労働市場に放り出されるケースが増えている。「なんでも屋」はウィキペディアやグーグルアナリティクスなど、知識や分析を手軽に提供するテクノロジーと競わなければならない。

ほかの専門技能より高い価値を持つ技能は、1その技能が価値を生み出すことが広く理解されていること、2その技能の持ち主の希少性が高いこと、3その技能の模倣が困難であり、機械によっても代用されにくいこと、という条件を兼ね備えているものだ。

第二のシフト 孤独な競争から「協力して起こすイノベーション」へ

世界中の人々が結びつく時代の恩恵に最大限浴するためには、協力とネットワークとイノベーションについて、根本から発想をシフトする必要がある。

昔は人的ネットワークが自然に形成されるのに任せておけばよかったが、今後は意識的・主体的な選択と行動が不可欠となる。

関心分野を共有する少人数のブレーン集団である「ポッセ」、多様なアイデアの源となる「ビッグアイディアクラウド」、そして安らぎと活力を与えてくれる「自己再生のコミュニティ」を築くために、意識的に努力しなくてはならない。

強固な人間関係をはぐぐむことができれば、大きなエネルギーを得られる。その際に注意すべきは、物質的な豊かさを重んじるあまりに、成長と意義と友情をないがしろにしないことだ。

第三のシフト 大量消費から「情熱を傾けられる経験」へ

第三のシフトは未来に向けて求められる三つのシフトのなかで最も難しい。やりがいと情熱を感じられ、前向きで充実した経験を味わえる職業生活への転換を成し遂げ、「仕事の最大の目的はお金を稼ぐこと、人生の目的はそのお金で消費すること」という発想から脱却しなくてはならない。

このシフトで目指すのは、すべての時間とエネルギーを仕事に吸い取られる人生ではなく、もっとやりがいを味わえて、バランスの取れた働き方に転換することだ。

シフトを行うとは、覚悟を決めて選択することだ。ボランティア活動や長期休暇を取る代わりに高給を諦める選択をしたり、リスクを承知の上でミニ起業家へ転身したりする。

昔は企業が社員の代わりにすべてを決めていたが、今後は自分の働き方を主体的に選ぶケースが増える。自分自身と家族、そして社会全体のために、経済の活力と社会の安定のバランスをどのように取りたいのか。

そのバランスを実現するために、どういう選択を行うべきなのか。こうした視野の広い議論をすべき時期に来ている。

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著者紹介
Lynda Gratton(リンダ・グラットン)
ロンドン・ビジネススクール教授。
経営組織論の世界的権威で、英タイムズ紙の選ぶ「世界のトップビジネス思想家15人」のひとり。ファイナンシャルタイムズでは「今後10年で未来に最もインパクトを与えるビジネス理論家」と賞され、英エコノミスト誌の「仕事の未来を予測する識者トップ200人」に名を連ねる。組織におけるイノベーションを促進するスポッツムーブメントの創始者。『HotSpots』『Glow』『Living Strategy』など7冊の著作は、計20ヶ国語以上に翻訳されている。人事、組織活性化のエキスパートとして欧米、アジアのグローバル企業に対してアドバイスを行う。現在、シンガポール政府のヒューマンキャピタルアドバイザリーボードメンバー。

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