志を持って生きるとは、今を生き切ること

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ここでは、あなたが夢を叶える為の手助けになる記事を紹介していきます。  

あすか会議2018のセッション「すべては導かれている - 逆境を越え、人生を拓く5つの覚悟」の内容を書き起こした記事を紹介します。


田坂 広志
多摩大学大学院教授 田坂塾・塾長 世界賢人会議Club of Budapest日本代表

ちょうど35年前の1983年の夏、私は医者から非常に深刻な病を告げられました。医者の診断は、「もうあなたの命は長くない」というものでした。では、医者から匙を投げられ、死を目前にした人間は、どのような心境になるか。

地獄です。本当に日々が地獄でした。自分の体がどんどん崩れていくような感覚。そして、死が迫ってくる不安と恐怖。そうした日々は、「悪夢」という言葉すら生やさしく聞こえるのです。なぜなら、もし、それが「悪夢」であるならば、その夢から覚めれば、その苦しみも消える。

しかし、逆なのです。寝ている最中だけ「死の恐怖」を忘れられる。しかし、夜中に目が覚めると、刻々と命を失っていく自分が現実なのです。はっと目が覚めると、その現実が目の前にある。夜中に、何度もため息をつきながら、どん底のなかで日々を過ごしていました。

しかし、医者も見放し、頼るものも無い、救いも無い状況の中で、天は見放さなかったのでしょう。私の両親が、ある寺を紹介してくれたのです。それは禅寺なのですが、そこは難病や大病を抱えた方が行き、その多くが立ち直って戻ってくる寺だというのです。両親は、そこに行くことを勧めました。

しかし、私は、科学的な教育を受け、工学博士という肩書も持つ人間ですので、唯物論を信じる人間でした。だから最初は、「そんな怪しげな場所など・・・」と撥ねつけていたのです。「医者が見放したものが、助かるはずがない。寺に行ったぐらいで、治るはずはない」と。そう思っていたのです。しかし、やはり人間です。体の状態がどんどん悪くなると、最後は「藁にもすがる」という思いになりました。

それで、「もう騙されたと思って行ってみよう」という思いでその禅寺を訪れました。だから、心細い思いで山の中にあったその寺に着いたとき、そこに、何か不思議な治療法でもあるのではないかと期待していました。

しかし、その期待は、全く裏切られました。行ったその日から、鍬や鋤を渡されて献労をさせられたのです。農作業です。 

医者も見放した体の悪い人間に、農作業。最初は、「こんな労働をさせられるなら、入院していたほうが良いのでは・・・」と思ったほどです。ただ、そうは言っても周りの人々は農作業をされる。そこで、私も仕方なく一緒に作業をしていました。「こんなことをして何が治るんだ・・・」と思いながら。

いまでも、一枚の写真があります。その寺を訪れた初日、森の中を切り拓いた畑で撮った写真です。その写真の中には、一人の若者が立っています。休憩時間、鍬を杖のようにして幽霊のように立っている若者。当時の私です。

ところが、人生というものは、やはり、「大いなる何か」に導かれている。その初日から、大切なことを教えられたのです。その畑で嫌々ながら農作業をしていると、横から大きな声が聞こえてきた。

それは、「どんどん良くなる! どんどん良くなる!」という声でした。思わず横を見ると、ある男性が必死に鍬を振り下ろしている。しかし、見た瞬間に分かりました。足が大きく膨れていて、「腎臓がやられている」ということが。

それで、休憩時間に、「どうなさったんですか」と聞くと、「いや、見ての通り腎臓をやられているんですわ。それで、何年も、病院に出たり入ったりして、もう医者は治してくれんのです。ただ、このままじゃ家族がダメになる。もう、自分で治すしかないんですわ!」と言われた。

その瞬間、その方の言葉が、天の声のように聞こえたのです。「ああ、そうだ。自分で治すしかないんだ!」と。その瞬間、私は、大切な何かを掴み始めたのです。

そして、それから3日後ぐらいでしたか、その日の午前中は、山の中腹にある畑に行って皆で農作業をする日でした。

私は作業で使う農具の当番で、一人ひとりに鍬や鋤を渡していくと、他の方々は、次々と坂を登っていき、農作業に向かっていきました。全員に農具を渡し、後片付けをして、私もずいぶん遅れて・・・、もう30分以上経ったでしょうか、「さあ、自分も作業に加わろう・・・」と、鍬を肩に坂道を登っていったら、最初の曲がり角に差し掛かった瞬間、ハッとする光景を見ました。それは、思わず目を疑う光景でした。
そこを歩いていたのは高齢の女性でした。足が悪いことは、見てすぐに分かりました。足を引きずるようにして、鍬を杖のようにして一歩一歩、坂道を登っていました。

その悪い足を治したいということで、その寺にやってきたのでしょう。しかし、その歩みでは、懸命に坂道を登っていっても、畑に辿り着くのは午前中の作業が終わってしまう頃です。それは明らかでした。

しかし、その方の後姿から、強い思いが伝わってきました。「畑に辿り着けるかどうかはどちらでもいい。私は、この体で力を振り絞って、自分の力で登っていく!」。その必死の思いが伝わってきたのです。農作業に間に合うかどうかは関係ない。目の前の現実に正対し、全力を尽くして登っていくという、その静かな気迫が伝わってきました。

その強い思いと静かな気迫を感じたとき、まだ、迷いの中にあった私も、大切なことを気づかせて頂きました。

私は心の中で手を合わせ、「有り難うございます。大切なことを教えて頂きました」と拝みながら、その方の横を通り過ぎ、登って行きました。いまも、そのときのことを思い出します。35年前の夏です。そして、こうした体験は、すべて、天が私に与えたものだと思っています。

続きます。

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