自分の人生は、大いなる何かに導かれている。

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GIVE AND GIVE ミナジョーです。

ここでは、あなたが夢を叶える為の手助けになる記事を紹介していきます。  

あすか会議2018のセッション「すべては導かれている - 逆境を越え、人生を拓く5つの覚悟」の内容を書き起こした記事を紹介します。

いよいよ本題に入りましょう。いかなる逆境も越え、人生を拓いていく。そのために最も大切なことは、「今を生き切る」ことです。

そして、その生き方をするためには、何よりも、「深い志や使命感」を抱くことです。
では、その志や使命感を抱くとき、大切なものは何か。それは、「すべては導かれている」という覚悟を定めることです。

私自身、先ほどお話しした禅寺から戻ってくるとき、真っ青な空を見上げながらこう思いました。「ああ、自分には、大切な使命がある」。心底、そう思ったのです。

もうその時は、自分の病気がどうなるかなど、まったく考えることはなかった。不思議ですね。あれほど、病気の不安と恐怖に押しつぶされそうになっていたのに。

その時は、夏の青空を見上げ、「ああ、自分には成し遂げるべき使命がある。その使命に気づかせて頂くために、この寺に招かれたのだ。大いなる何かに導かれ、この寺に招かれたのだ」と思ったのです。

そして、その時から、「すべては導かれている」という覚悟を定め、与えられた一日を精一杯に生きるという修行、「今を生き切る」という修行に入らせて頂いたのです。

では、どうすれば、「すべては導かれている」という根本覚悟を定めることができるのか。その根本覚悟にいたる道を、「五つの覚悟」を一つ一つ定めていく技法として、皆さんにお伝えしたいと思います。

まず、第一は、「自分の人生は、大いなる何かに導かれている」という覚悟を定めることです。皆さんが、もし、その覚悟を定められるならば、それだけで、何かが変わり始めます。

しかし、こう申し上げると、すぐに一つの疑問を持たれる方がいるでしょう。「田坂さん、おっしゃる意味は分かるけれども、その『大いなる何か』など、本当に存在するのでしょうか」と。

実は、そうした「大いなる何か」が存在するか否かは、誰も証明できないのです。人類何千年の歴史の中で、誰もそのことを証明した人はいない。その「大いなる何か」を、人は、ときに神と呼び、ときに仏と呼び、ときに天と呼ぶのかもしれない。しかし、それが存在するかどうかは、誰も証明できないのです。

ただ、良い機会だから申し上げます。例えば、「信念を持て」ということは、よく言われます。「自信を持て」ということも、よく言われます。この「信」という言葉の本当の意味を、皆さんはお分かりでしょうか。

この「信」という言葉の意味。誰かが証明してくれるから信ずるというのは「信」とは呼ばないのです。誰も証明することはできないが、自分は、無条件にそれを信ずる。

このことを「信」と呼ぶのです。誰かが証明できるものは「信」とは呼ばない。ニュートンの法則を、「信」とは呼びません。それは単なる科学的な「常識」であり、「知識」です。

すなわち、「信」とは、無条件に信ずること。では、どうしてそれを信ずるのか。
それを信ずることで、良き人生を生きることができると思うからです。

「信」という言葉は、本来、そのように使うべき言葉だと、私は思っています。誰かが証明しているからではなく、「自分の人生は、大いなる何かに導かれている」と信じて生きることによって、素晴らしい人生を拓くことができると思っているからです。

しかし実は、こうした「信」は、優れた先人の多くが、その人生において抱いて歩んだものでもあります。それは、政治家、経営者、文化人、芸術家、スポーツ選手、いかなる分野であっても、「ああ、見事な人生を歩まれたな」と思える方は、例外なくと言って良いほど、「自分の人生は、大いなる何かに導かれている」という「信」をお持ちです。

だから、その方々は、逆境においても挫けることなく歩み、自身の中に眠る素晴らしい可能性を開花させ、「大いなる何か」の声に耳を傾けて歩んでこられたのだと思います。

私は、これまで、多くの経営者の方々とのご縁を得てきましたが、優れた経営者は、どなたも、その「信」をお持ちでした。例えば、私が若いころ薫陶を受けた素晴らしい経営者の中に、「Banker of the Year」という世界的な賞を受賞された、大手都市銀行の元頭取の方がいらっしゃいます。この方は戦時中、水兵として乗艦していた巡洋艦が撃沈され、海に投げ出された後、九死に一生を得て生還されたという経験の持ち主でした。 

この方も、ある時、ご自身の人生を振り返り、呟かれていました。「人は生かされて生きてるからね」と。

昔から、名経営者と呼ばれる方は、どなたも、こうした深い宗教的な情操をお持ちでした。それは、「自分は、大いなる何かに生かされて生きている」「自分の人生は、大いなる何かに導かれている」という「信」と呼ぶべきものでした。

そして、この「大いなる何かに導かれている」という覚悟は、経営者やリーダーとして歩むために、極めて大切なものです。なぜなら、人を導くリーダーの立場にある人間は、自分自身を導く何かを信じることがなければ、心の中に、無意識の傲慢さが生まれてしまうからです。

皆さんは、どなたも、リーダーの世界を歩んでこられた方々であり、また、これから歩まれる方々だと思います。そうであるならば、いずれ、皆さんは、誰もご自身を導いてくれない時代を迎えます。

だからこそ、そのとき、心の中に、「自分は、大いなる何かに導かれて生きている。その導きの声に、虚心に耳を傾けて歩もう」という、人間として最も謙虚な心を持って頂きたいのです。

分野を問わず、優れた仕事を成し遂げた方々は、どなたも、そういう「謙虚さ」と「信」を持って歩まれた方々です。例えば、版画家の棟方志功。彼が残したあの言葉も、素晴らしい言葉です。 

「我が業は、我が為すにあらず」。すなわち、「自分の残したこの仕事は、自分が成し遂げた仕事ではない。大いなる何かが成し遂げた仕事だ」と、堂々と言われる。素晴らしい生き方ですね。

皆さんも、これから何十年かの歳月を歩み、見事な仕事を成し遂げていく方々です。ただ、願わくば、人生の最後に、そうした言葉を語って頂きたい。いつか、世の中の人々から、「あなたは素晴らしい仕事を成し遂げましたね」と聞かれたならば、「大いなる何かに導かれ、この仕事を残すことができました」と答えて頂きたい。

「幸い、世の中の多くの人々に光を届ける仕事を成し遂げさせて頂きました。しかしそれは、私が成し遂げた仕事ではありません。私という人間を通じて、大いなる何かが成し遂げた仕事です」。いつの日か、もし皆さんが、そう語られるならば、それは、一人の人間が人生を振り返ったとき語り得る、最高の言葉ではないでしょうか。

そして、こうした「我々の人生は、大いなる何かに導かれている」という「信」を抱いていたのは、優れた仕事を成し遂げた方々ばかりではありません。

何千年もの人類の歴史を振り返るならば、多くの人々が、神という言葉、仏という言葉、天という言葉を使って、「大いなる何か」の存在を信じ続けていました。特に我々日本人は、日常の中で当たり前のように、「天命」という言葉や、「天の配剤」、「天の声」、「天の導き」といった言葉を使います。

すなわち、我々日本人は、誰もが、「我々の人生は、大いなる何かに導かれている」という感覚を抱いており、ある意味で、世界で最も深い宗教的情操を日常的な言葉で語っている国民なのです。我々日本人は、当たり前のように、「有り難いご縁を頂きました」という言葉を使います。

また、「一期一会」という言葉も使います。このように、日本人は誰もが、素晴らしい宗教的情操を持っています。だからこそ、改めて、一つの覚悟を定めて頂きたいのです。

「自分の人生は、大いなる何かに導かれている」という覚悟を定めて頂きたいのです。
いや、皆さんは、ご自身の人生を振り返るならば、すでに、「自分の人生は、大いなる何かに導かれている」という感覚をお持ちではないですか。 「あの時、あの人と巡り会ったから、道が拓けた」「あの時、あの出来事があったから、自分の進むべき道が分かった」。そういう体験を持たれている方は決して少なくないでしょう。

そうであるなら、もうすでに皆さんは、「自分の人生は、大いなる何かに導かれている」という感覚を抱かれているのではないでしょうか。 

されば、その「感覚」を、「覚悟」にまで深めることです。
そのことを申し上げると、「第一の覚悟」は、もう十分に理解されたかと思います。

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