世阿弥のことば

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世阿弥は、日本の室町時代初期の大和猿楽結崎座の猿楽師。父の観阿弥とともに猿楽を大成し、多くの書を残す。観阿弥、世阿弥の能は観世流として現代に受け継がれている。 幼名は鬼夜叉、そして二条良基から藤若の名を賜る。通称は三郎。実名は元清。父の死後、観世大夫を継ぐ。 ウィキペディア
生年月日: 1363年
生まれ: 伊賀国
死亡: 1443年9月1日, 日本
子供: 観世元雅、 観世七郎元能
両親: 観阿弥


離見の見

自分の姿を左右前後から、よくよく見なければならない。これが「離見の見(りけんのけん)」です。

これは、「見所同見(けんじょどうけん)」とも言われます。見所は、観客席のことなので、客席で見ている観客の目で自分をみなさい、ということです。

実際には、自分の姿を自分で見ることはできません。客観的に自分の行動を批判してくれる人を持つなど、ひとりよがりになることを避けるよう、心掛けなければなりません。

ではどうやって、自分を第三者的に見ればいいのか。世阿弥は、「目前心後(もくぜんしんご)」ということばを用いています。「眼は前を見ていても、心は後ろにおいておけ」ということ、すなわち、自分を客観的に、外から見る努力が必要だといっているのです。これは、単に演劇の世界に限ったことではありません。

「後ろ姿を覚えねば、姿の俗なるところをわきまえず」(後姿を見ていないと、その見えない後姿に卑しさがでていることに気付かない)それではいけない、と世阿弥は言っています。

歳を重ねれば重ねるほど、地位が上に行けば行くほど、前を見ることが要求され、自分の後姿を見ることを忘れてしまいがちですが、自分が卑しくならないためには、自分を突き放して見ることが必要なのです。
全体の中で自分を客観的に見ることは、いつの世でも難しく、しかし必要とされることなのです。

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