日本の歴史から学ぶ〜プラザ合意

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プラザ合意とは?概要を簡単に解説


1985年9月22日、いきすぎたドル高を是正するために、アメリカ、イギリス、西ドイツ、フランス、そして日本の先進5ヶ国が外国為替市場に協調介入することが合意されました。

蔵相・中央銀行総裁会議がニューヨークの「プラザホテル」で開かれたことから、こう呼ばれています。出席したのは、アメリカ財務長官ジェイムズ・ベイカー、イギリス蔵相ナイジェル・ローソン、西ドイツ財務相ゲルハルト・シュトルテンベルク、フランス経済財政相ピエール・ベレゴヴォワ、そして日本は竹下登蔵相です。

合意に基づき、各国はドル売りに乗り出します。ドル円レートは、合意前は1ドル240円台だったのに対し、年末には1ドル200円台へ。さらに1987年末には1ドル120円台となり、日本経済は一時的に円高不況に陥りました。

日銀が低金利政策などの金融緩和を打ち出したため、投機が加速し空前の財テクブームとなります。

プラザ合意は、1980年代後半のバブル経済や、その後の長期間におよぶ景気低迷のきっかけともいわれているのです。

世界経済に多大な影響をおよぼす歴史的なものでしたが、事前に各国の実務者間で協議がおこなわれていたため、会議そのものはわずか20分程度で終了するという形式なものでした。

プラザ合意の背景と目的は?

背景には、1981年にアメリカ大統領に就任したロナルド・レーガンの、「小さな政府」「強いドル」の政策があります。

インフレを抑制するためにおこなった厳しい金融引き締めにより、ドル金利は20%に到達し、世界中の投機マネーがアメリカに集中しました。高金利によって民間投資は抑制され、インフレからの脱出には成功したものの、財政赤字が累積するとともに貿易収支の赤字も増加。国際収支の不均衡が拡大していきます。

「双子の赤字」と呼ばれる財政赤字と貿易赤字は、アメリカ国内で保護主義の動きを強めました。ドルショックの再発を恐れた先進各国は、自由貿易を守るためにドル安路線にはしることに合意したのです。

プラザ合意、日本政府はなぜ参加した?

日本経済にとって、ドル高を背景としたアメリカとの貿易は、経済発展のための重要なファクター。

為替レートを円高ドル安基調に誘導することは、大きなリスクをともないます。輸出産業の競争力を相対的に弱め、経済成長に歯止めがかかる懸念がありました。

そんな日本が協調介入に合意した背景には、アメリカとの貿易摩擦が過熱していたことがあげられます。

実はアメリカが抱えていた貿易赤字額の大半は、対日本によるもの。アメリカ国内で反発が強まっており、日本産の自動車が破壊されるデモンストレーションなどがくり広げられていました。

アメリカとの関係を良好に保つことは、日本政府にとって最重要課題。貿易摩擦を解消するためにはやむなし、という判断でした。

プラザ合意の影響は?ルーブル合意、日本はバブル景気へ

ドル安へと誘導する協調介入は、国際収支の是正にある程度役立ちました。その一方でアメリカ国内にはインフレの懸念が生まれるなどの弊害があり、1987年にはドル安に歯止めをかける「ルーブル合意」が結ばれます。

ただこれは各国の協調介入が不十分だったため効果が薄く、ドルの下落を止めることはできませんでした。

一方日本経済にとってプラザ合意は、それまでアメリカ貿易で多大な黒字を生み出していたため、大打撃でした。不況の逆風が町工場を襲い、倒産する企業が続出します。 

これに対し政府は、内需主導型の経済成長を促そうと、公共投資を拡大するなどの積極財政を展開。さらに日銀は長期的に金融緩和を実施します。

この結果景気拡大がもたらされ、バブル景気に繋がっていきました。
また急速な円高は、海外旅行ブームや輸入産業の拡大を導きます。賃金の安い国に工場を移転する企業が増加し、東南アジアの経済発展を促すことにもなりました。

出典
5分でわかるプラザ合意!背景と目的、影響などをわかりやすく解説!
https://honcierge.jp/articles/shelf_story/5686
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