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本田宗一郎さんの名言集を紹介します。
本田 宗一郎(ほんだ そういちろう/1906年11月17日-1991年8月5日)は、「ホンダ(本田技研工業)」を一代で築き上げた事で知られる戦後の日本を代表する経営者・技術者。
高等小学校卒業後の1922年に自動車修理工場「アート商会」(後のアート金属工業)に入社(当時の表現では「丁稚奉公」)。1928年に「のれん分け」の形で独立。
その後、社長業の傍ら浜松高等工業学校(後の静岡大学工学部)機械科の聴講生となり、金属工学の勉強にも励げむようになる。
1945年に「人間休業」と称して1年間の休養をとった後、翌年に「本田技術研究所 (旧)」を設立。1948年に「本田技研工業株式会社」を設立。
1949年に後の副社長となる「藤沢武夫」と出会い、ホンダを世界的な大企業に育て上げてあげていくこととなる。
また、バイクの「三ない運動」が全盛期の頃には全国のPTAから「暴走族の親玉」と呼ばれ、徹底的に激しい非難を浴びせられていましたが、「高校生から教育の名の下にバイクを取り上げるのではなく、バイクに乗る際のルールや危険性を十分に教えていくのが学校教育ではないのか」と発言し、事態は終息に向かうこととなり、この事件を機に、全国の学校で「安全運転講習」が始められるようになったとのこと。(参考文献:ウィキペディア+楽天ブックス)
著書
主な著書に「私の手が語る」「俺の考え」「やりたいことをやれ」「スピードに生きる」「得手に帆あげて」「夢を力に」などがある。
本田宗一郎の名言集
困らなきゃだめです。人間というのは困ることだ。絶対絶命のときに出る力が本当の力なんだ。
人間はやろうと思えば、大抵のことは出来るんだから。
失敗もせず問題を解決した人と、十回失敗した人の時間が同じなら、十回失敗した人をとる。
同じ時間なら、失敗した方が苦しんでいる。
それが知らずして根性になり、人生の飛躍の土台になる。
社長なんて偉くも何ともない。
課長、部長、包丁、盲腸と同じだ。
要するに命令系統を、はっきりさせる記号に過ぎない。
(F1レースでホンダターボエンジンの圧勝を受けて、FIAがターボエンジンの禁止を発表したことについて、ホンダのチーム監督が宗一郎に直訴したときの名言)
ホンダだけがターボ禁止なのか?
違うのか、馬鹿な奴等だ。
ホンダだけに規制をするのなら賢いが、すべて同じ条件でならホンダが一番速く、一番いいエンジンを作るのにな。
で、なんだ話ってのは?
(本社ビルを建設するときの名言)
万が一地震が起こったときに、割れたガラスが歩道を歩く人に降りかからないようにしなさい。
(※本社ビルの全フロアには、割れたガラスが歩道に落ちないようにバルコニーが設置されています)
自動車メーカーの経営者が、車の渋滞を起こすような、派手な社葬などしてはいけない。
(※宗一郎の通夜と社葬は行われておらず、
各工場でささやかな「お礼の会」が行われたとのこと)
(勲一等瑞宝章受賞授賞式に作業着で出席しようとした時の名言)
技術者の正装とは、真っ白なツナギ(作業着)だ。
(※周囲に止められた為、仕方なく礼服で出席)
かけがえのない「若さ」も、それを自覚していなければ「豚に真珠」「猫に小判」で、あってなきに等しい。
こちらが悪ければ、悪い人間が寄ってくる。
こちらが信用することによって、信用される人間が生まれる。
チャレンジして失敗を恐れるよりも、何もしないことを恐れろ。
嫌いなことを無理してやったって、仕方がないだろう。
悲しみも、喜びも、感動も、落胆も、つねに素直に味わうことが大事だ。
成功者は、例え不運な事態に見舞われても、この試練を乗り越えたら、必ず成功すると考えている。
そして、最後まで諦めなかった人間が、成功しているのである。
新しいことをやれば、必ず、しくじる。腹が立つ。だから、寝る時間、食う時間を削って、何度も何度もやる。
日本人は、失敗ということを、恐れすぎるようである。どだい、失敗を恐れて何もしないなんて人間は、最低なのである。
少しでも興味を持ったこと、やってみたいと思ったことは、結果はともあれ手をつけてみよう。
幸福の芽は、そこから芽生え始める。
出典
地球の名言
http://earth-words.org/archives/570
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